TUBI STYLE JAPAN

トップ

NOTES

跳ね馬の血統

フェラーリとその周辺の歴史を、公式の資料や博物館の記録にあたって書いた読みものです。記事ごとに、最後に出典を並べています。

NOTES 01跳ね馬は、だれの馬だったのか騎兵連隊の紋章から戦闘機の胴体へ、そしてスクーデリアの盾へNOTES 02エンツォ・フェラーリという人走る人から走らせる人へ、そして作る人へ。公式の記録でたどる九十年NOTES 03GTO、F40、F50。三台の「限られた車」走る場所を失った一台から始まった、フェラーリのスーパーカーの系譜NOTES 04ディーノ。フェラーリの名を付けなかったフェラーリ息子の名前が、エンジンの名になり、車の名になり、やがて消えるまでNOTES 05250 の三台。テスタロッサ、GTO、LM同じ「250」の名を持ち、耐久レースの時代を作った三台を、公式の記録で並べるNOTES 06フェラーリのレースを、節目で読む1947年のローマから、三年続いたル・マンまで。公式の年表が選んだ場面NOTES 07フェラーリとピニンファリーナ。六十年の線と、その終わり方中間の町の食堂で始まり、社内のデザイン部門へ引き継がれるまでNOTES 08フェラーリの赤には、名前がいくつもあるロッソ・コルサだけではない。国の色から始まった赤と、黄色と、青の話NOTES 09フェラーリは、年に何台つくっているのか出荷の台数と、行き先の国。会社の年次報告書の表を読むNOTES 10モデナ、マラネッロ、フィオラーノ。車の名前になった町生まれた町、つくる町、試す町。そして海辺の町と都NOTES 11フェラーリという会社は、だれのものかチームの名前から、取引所に上場した会社まで。名前と持ち主の移り変わりNOTES 12ミケロット。パドヴァの工場が、フェラーリをラリーへ連れ出した308 GTB グループ4 から、288 GTO、F40、そして GT のレースへNOTES 13Tubi Style。レースの排気管から始まった、マラネッロの工場1987 年の創業から、フェラーリの技術パートナーになるまでNOTES 14ミッレ・ミリア。千マイルを一日で走ったレース1927 年のブレシアから、1957 年の最後の速さのレース、そしていまの「走る博物館」までNOTES 15アルファロメオとフェラーリ。育てた会社と、出ていった人スクーデリア・フェラーリは、アルファロメオのレース部門だった。二つの博物館の記録を読み合わせるNOTES 16フェラーリとフィアット。半分ずつの握手から、離れる日までランチアの置きみやげ、ディーノのエンジン、1969 年の署名、そして 2016 年の分離NOTES 17F40(上)。エンツォが最後に送り出した車は、どう生まれたかGTO エヴォルツィオーネから一年あまり。エンジン、軽さ、形、そしてターボの出方NOTES 18F40(中)。台数、窓、触媒、色。一台ごとの違いを読む1311 台か 1315 台か。引き戸の窓、触媒なし、アメリカ仕様の 213 台、そして右ハンドルNOTES 19F40(下)。レースの F40。LM、GT、GTEフランスの輸入元が言い出し、パドヴァのミケロットがつくった。アメリカ、イタリア、そしてルマンNOTES 20クラシック・フェラーリの競売。記録になった五台カリフォルニアのモントレー、パリのレトロモビル。競売の会社が書いた記録で読む、値段と来歴NOTES 21一台の 250 GTO の履歴。車台番号 3413 を、持ち主の順に読む1962 年に工場を出てから、2018 年に 48,405,000 ドルで売れるまで。十一人の持ち主と、二十のレース