息子の名前が、エンジンの名になり、車の名になり、やがて消えるまで
ディーノという名前の車には、長いあいだフェラーリの印が付いていませんでした。鼻先に付いていたのは、青い字で書かれた署名です。その署名の主は、エンツォ・フェラーリの息子でした。フェラーリ公式サイトの車種のページと年表から、名前がたどった道を追います。
CHAPTER 1息子の名前
1-1 1956年6月30日
ディーノは、エンツォ・フェラーリの息子の名前です。公式の車種のページは、この名を「エンツォの息子の洗礼名」と説明しています。
ディーノは1956年に亡くなりました。公式の年表によれば、6月30日の土曜日、筋ジストロフィーとの闘いの末のことです。葬儀は翌日の日曜日で、ちょうどフランス・グランプリの日でした。年表は、モデナにいたエンツォの心はレースの場には無く、そのあとも長いあいだそうだった、と書いています。
公式の年表は別の年の記事で、ディーノのエンジンを「エンツォの息子が設計したエンジン」と呼んでいます。名前を借りただけではなく、本人の仕事が中に入っている。フェラーリ自身が、そういう扱いをしています。
ディーノは、ただ社長の息子だったわけではありません。車種のページによれば、亡くなる前、V型のエンジンの計画に取り組んでいました。だから、その名はまずエンジンに付けられます。亡くなった息子を思い出すための名前でした。
名前が車そのものに付くのは、もっとあとです。はじめはエンジンの呼び名であり、やがてレースの車の呼び名になり、最後に道を走る車の名になります。その順番が、この記事の順番です。
- 1956エンツォの息子ディーノが亡くなる
- 1958ホーソーンが 246 F1 で世界王者になる
- 1965レースの車に、初めてディーノの印が付く。フィアットとエンジンの取り決めを結ぶ
- 1968206 GT の生産が始まる
- 1969246 GT が生まれる
- 1973308 GT4 がパリで披露される
- 1975アメリカで、フェラーリの印を付けはじめる
- 1976この年の終わりで、ディーノの名が終わる
1-2 V型エンジンの車の呼び名に
車種のページによれば、ディーノの名がフェラーリの車に初めて使われたのは、1950年代の終わりです。V型のエンジンを積んだF1の車と、スポーツカーレースの車に付けられました。
その一台が、1958年の 246 F1 です。イギリスのマイク・ホーソーンは、この車で1958年の世界王者になりました。スターリング・モスとの差は、わずか1点。フェラーリの公式の記事は、この車をマラネッロの博物館の展示の中でも、いちばん厳しい戦いをくぐった一台として紹介しています。年表によれば、エンジンは2.4リットルの6気筒で、F2用のディーノのエンジンから作られたものでした。
ホーソーンは、エンジンを運転席の前に積んだ車で王者になった最後の人でもあります。息子が関わったエンジンの系譜が、亡くなって二年で、世界一の車を走らせたことになります。年表によれば、この車はイタリア・グランプリで初めて円盤型のブレーキを付けたフェラーリでもありました。
ディーノの名は、1960年代の初めまで、V型のエンジンを積んだ車を指す呼び名として使われ続けました。
1-3 鼻先の署名
名前が次に大きく動くのは1965年です。この年、エンジンを運転席の後ろに置いたレースの車 166P にディーノの名が付き、それが 206 SP、206 S へと育っていきます。
車種のページは、ここで大事な一言を書いています。これが、鼻先にフェラーリの印ではなく、ディーノの印を付けた最初の車だった、と。印は横長の四角で、黄色い地に、青い字で崩した署名が入っていました。跳ね馬はありません。
同じ1965年、エンツォのもう一人の息子ピエロ・フェラーリが、会社で最初の仕事に就いています。年次報告書の経歴の欄によれば、その仕事はレースの車「ディーノ 206 コンペティツィオーネ」を作ることでした。亡くなった兄の名を持つ車が、弟の最初の仕事になったわけです。
この時点で、ディーノは「フェラーリの中の、もう一つの名前」になりました。次の章は、その名前が町の道へ出ていく話です。
CHAPTER 2道を走るディーノ
2-1 F2の規則と、フィアット
道を走るディーノが生まれたきっかけは、レースの規則でした。車種のページによれば、1967年のF2では、エンジンは量産品がもとでなければならず、しかも年に500基以上作られていることが条件になりました。
当時のフェラーリに、そんな数は作れません。そこで手を組んだ相手がフィアットです。フィアットがエンジンを作り、自分の会社の上級の車に積む。その車にもディーノの名を付ける。そして同じエンジンをフェラーリにも渡す。フィアットの車もフェラーリの車も、どちらも「ディーノ」の印を付けることになりました。
公式の年表は、この取り決めが1965年に結ばれたと書いています。設計はフェラーリ、作るのはトリノのフィアットの工場です。その四年あとに、フィアットはフェラーリの半分を持つことになります。ディーノのエンジンは、二つの会社が近づいていく最初の一歩でした。
フェラーリにとっては、もう一つ理由がありました。車種のページの冒頭は、こう始まります。売る台数を増やし、作る費用を下げることが、どうしても必要になっていた、と。
2-2 206 GT、およそ150台
最初の試作車は1965年のパリ・サロン、ピニンファリーナの場所に置かれました。名前は「ディーノ 206 GT スペチアーレ」。1966年のトリノに次の試作車が出て、1967年の試作車で大きな変更が入ります。V6のエンジンを90度まわして、横向きに置いたのです。
生産は1968年に始まり、1969年まで続きました。車種のページによれば、九か月のあいだに作られたのは、およそ150台。すべて左ハンドルでした。エンジンは65度のV6で1,987cc、出力は180馬力、最高速は235キロです。
変わっていたのは車体でした。当時のフェラーリの多くは鋼の車体でしたが、206 GT は全体がアルミです。乾いた重さは900キロしかありません。車種のページは、フェラーリの歴史で初めて、流れ作業の列で組み立てられる車だったとも書いています。
はじめのうち、昔からの愛好家はこの車を「本物のフェラーリではない」と見ていました。けれど実物を見て、運転すると、考えが変わったそうです。当時の売り文句は「小さく、輝き、安全。ほとんどフェラーリ」でした。
2-3 246 GT、そして数が出る
1969年、エンジンが2リットルから2.4リットルに大きくなり、246 GT が生まれます。正式な披露は1969年11月のトリノ・ショーでしたが、生産はもう始まっていて、年の終わりまでに81台が出来ていました。
見た目は 206 GT とほとんど同じです。違いは中にあります。排気量は2418cc、出力は195馬力。エンジンの本体の材料はアルミから鋳鉄に変わりました。前後の車輪のあいだは2280ミリから2340ミリへ、60ミリ伸びています。
生産は1974年まで続き、そのあいだに細かな変更が重なって、「L」「M」「E」の三つの系列に分かれました。1972年の春のジュネーブでは、屋根の板を外せる 246 GTS が加わります。
数は、206 GT とは比べものになりません。車種のページによれば、246 GT は1969年から1974年までに2487台、246 GTS は1972年から1974年までに1274台です。同じページは、生産をやめたときも、まだ欲しがる人が多かったと書いています。レースにはほとんど出ませんでした。大きな国際レースは1972年のル・マン24時間だけで、結果は総合17位でした。
CHAPTER 3V8、ベルトーネ、名前の終わり
3-1 1973年のパリ
1973年のパリ・サロンに、ディーノの名を持つ三台目の道の車が出ました。ディーノ 308 GT4 です。この車は、フェラーリにとって初めてのことをいくつも背負っていました。
まず、道を走る量産車で初めてのV8です。そして、エンジンを後ろの車軸の前に置きながら、後ろにも席がある初めての車でした。名前の数字は、3リットル、8気筒、4人乗りを表しています。全長はおよそ4.3メートルしかありません。公式の年表によれば、エンジンは2996ccで255馬力でした。
| 項目 | 206 GT | 246 GT | 308 GT4 |
|---|---|---|---|
| エンジン | V6、1,987cc | V6、2418cc | V8、2996cc |
| 出力 | 180馬力 | 195馬力 | 255馬力 |
| 作られた時期 | 1968年から1969年 | 1969年から1974年 | 1973年に披露、1980年の終わりまで |
もう一つ、形を描いたのがピニンファリーナではありませんでした。車種のページは、二十年続いたピニンファリーナとの付き合いのあとで、フェラーリはベルトーネが描いた車を出した、と書いています。年表によれば、描いたのはマルチェッロ・ガンディーニです。角ばった、鋭い線の車でした。
ベルトーネに決まった理由について、車種のページはベルトーネ側の言葉を引いています。フィアット・ディーノのクーペを描いたのがベルトーネで、フィアットの勧めがあったから、というものです。
3-2 アメリカで起きたこと
名前が揺らぎ始めるのは、アメリカです。
1974年に 246 GT と GTS の生産が終わると、ディーノの名を持つ車は 308 GT4 だけになりました。しかもアメリカでは、12気筒のフェラーリがその国の決まりに合わせた認可を受けていなかったので、販売店が売れる車はこの一台しかありませんでした。
車種のページは、その様子を率直に書いています。売れるただ一台の「フェラーリ」に、フェラーリの印が付いていない。そのうえ排気をきれいにする装置のせいで、走りも抑えられていた。売れ行きは良くありませんでした。
そこで工場は1975年の半ば、アメリカの販売店に指示を出します。店にある車に、あとからフェラーリの印を付けること。それ以後の車は、最初からフェラーリの印を付けて工場を出ました。ディーノの名は、後ろのふたの飾り文字にだけ残ります。だからアメリカには、フェラーリとディーノの両方の印を付けた車があります。
3-3 1976年の終わりに
車種のページによれば、ディーノの名は1976年の終わりまで使われ、そのあとフェラーリに変わりました。理由は「求める声が多かったから」です。年表も、フェラーリの名のほうが、とくにアメリカの客に好まれたと書いています。
車そのものは、名前が変わったあとも作り続けられました。車種のページによれば、生産は1980年の終わりまで七年間。そのあとはモンディアル 8 が継ぎます。作られたのは、308 GT4 が2826台、イタリア向けの2リットルの 208 GT4 が840台でした。208 は1975年、排気量の大きい車にかかるイタリアの重い税を避けるために足された型です。
ディーノの名は、こうして車から消えました。けれど残したものは大きい。246 GT の後を継いだのは、1975年のパリで披露された 308 GTB です。公式のページによれば、308 GTB は 308 GT4 のV8を引き継ぎ、形にも 246 GT の面影をいくつも残していました。ディーノの線は、フェラーリの名の車の中に続いていきます。フィアットとの結びつきも、流れ作業の列も、数の出る車も、ディーノから始まりました。
息子の名前は、エンジンから車へ移り、二十年ほどで役目を終えました。そのあいだに、フェラーリは少しだけ別の会社になっています。
SOURCES出典
- Ferrari 公式サイト「Dino 206 GT」
https://www.ferrari.com/en-EN/auto/dino-206-gt(2026-10-02 確認) - Ferrari 公式サイト「Dino 246 GT」
https://www.ferrari.com/en-EN/auto/dino-246-gt(2026-10-02 確認) - Ferrari 公式サイト「Dino 308 GT4」
https://www.ferrari.com/en-EN/auto/dino-308-gt4(2026-10-02 確認) - Ferrari 公式サイト History「1956 Fangio Champion」
https://www.ferrari.com/en-EN/history/moments/1956/fangio-champion(2026-10-02 確認) - Ferrari 公式サイト History「1958 Elegant Champion」
https://www.ferrari.com/en-EN/history/moments/1958/elegant-champion(2026-10-02 確認) - Ferrari 公式サイト History「1969 A New Partner」
https://www.ferrari.com/en-EN/history/moments/1969/a-new-partner(2026-10-02 確認) - Ferrari 公式サイト History「1973 Dino 308 GT4 Arrives」
https://www.ferrari.com/en-EN/history/moments/1973/dino-308-gt4-arrives(2026-10-02 確認) - Ferrari 公式サイト「308 GTB」
https://www.ferrari.com/en-EN/auto/308-gtb(2026-10-02 確認) - Ferrari Magazine「90 Legendary Years」(2019年6月10日)
https://www.ferrari.com/en-EN/magazine/articles/90-years-legendary-museum-maranello(2026-10-02 確認) - Ferrari N.V.「2025 Annual Report and Form 20-F」(取締役の経歴)
https://ferrari.scene7.com/is/content/ferrari/Ferrari_Annual_Report_2025?s(2026-10-02 確認)
この記事は、上の資料の原文を確かめたうえで書いています。年や台数などの数は、資料に書かれているものだけを使いました。資料どうしで書き方が違う所は、本文でそのように断っています。記事の中の社名と車名は、各社の商標です。