チームの名前から、取引所に上場した会社まで。名前と持ち主の移り変わり
「フェラーリ」はいま、ニューヨークとミラノの取引所に株を上場している会社の名前です。けれども、はじめからそうだったわけではありません。レースのチームの名前、エンツォの会社、フィアットとの半分ずつ、そして上場。名前と持ち主がどう移ってきたかを、会社の資料でたどります。
CHAPTER 1名前の順番
1-1 最初は、チームの名前だった
フェラーリという名前が最初に付いたのは、車ではなく、レースのチームでした。スクーデリア・フェラーリです。公式の記事は、1929 年 11 月 16 日にモデナで設立されたと書いています。
年次報告書は、会社の名前は創業者のエンツォ・フェラーリからとった、と一行で説明しています。エンツォは 1924 年からアルファロメオのドライバーで、自分のチームも、はじめはアルファロメオの車を走らせるためのものでした。
つまり、このころのスクーデリア・フェラーリは、車をつくる会社ではありません。よその会社の車でレースに出る、チームの会社でした。公式の記事も、当時のチームを会社の形で呼んでいます。
跳ね馬の印が初めて車に付いたのも、この時代です。1932 年のスパ 24 時間レースで、アルファロメオ 8C 2300 スパイダーのボディに描かれました。印のほうが、フェラーリの車より先に走っていたことになります。
名前と印がそろってから、自分の車ができるまでには、まだ十五年かかります。そのあいだに、会社の名前は一度、フェラーリではなくなります。
1-2 1939 年の会社に、フェラーリの名前はなかった
年次報告書の沿革は、次の節目をこう書いています。1939 年、エンツォは自分の会社を立ち上げた。はじめの名前は、アウト・アヴィオ・コストルツィオーニだった。
自分の会社なのに、自分の名前が入っていません。年次報告書は理由を書いていませんが、アルファロメオの博物館が書いています。エンツォはこの年にアルファロメオを去りました。そのときの取り決めで、少なくとも四年のあいだ、スクーデリアを作り直すことができなかった、というものです。
1943 年の終わりに、エンツォは本拠をモデナからマラネッロへ移しました。報告書は、マラネッロはいまも本拠のままだと書いています。
フェラーリの名前を持つ車が出たのは、1947 年です。最初のレース用の車、125 S でした。報告書は、この車の 12 気筒のエンジンが、やがてフェラーリという名前と同じ意味を持つようになった、と書いています。
翌 1948 年には、最初の道を走る車、166 インテルができました。1950 年には F1 の世界選手権に加わります。その年の二戦目、モナコのグランプリからの参加で、いまも続いているチームの中でいちばん長く走っている、と報告書は書いています。
- 1929スクーデリア・フェラーリをモデナで設立する
- 1939エンツォが自分の会社を立ち上げる。名前はアウト・アヴィオ・コストルツィオーニ
- 1947フェラーリの名前を持つ最初の車、125 S ができる
- 1969フィアットが 50 パーセントを持つ
- 1988エンツォが亡くなり、フィアットの持ち分が 90 パーセントになる
- 2015ニューヨークの取引所に上場する
- 2016フィアットのグループから離れ、ミラノの取引所にも上場する
1-3 いまは、二つの会社がある
いまの「フェラーリ」は、二つの会社でできています。公式サイトのいちばん下に、その二つが小さく並んでいます。
一つは Ferrari N.V. です。オランダの法律による会社で、2015 年 9 月 4 日に設立されました。法律上の所在地はアムステルダムですが、仕事をしている住所はマラネッロです。グループの持株会社で、取引所に上場しているのはこの会社です。
もう一つは Ferrari S.p.A. です。イタリアの法律による会社で、登記上の住所はモデナにあります。年次報告書は、事業は子会社を通して行っていて、その中心が Ferrari S.p.A. だと書いています。車をつくっているのは、こちらの会社です。
働いている人の数も載っています。2025 年 12 月 31 日の時点で、グループの従業員は 5,718 人でした。そのうち 5,367 人がイタリアにいて、ほとんどがマラネッロの工場で働いています。
名前そのものも、守られています。報告書によると、フェラーリの名前や跳ね馬の印などについて、およそ 150 の国で、およそ 4,410 件の商標の出願と登録を持っています。車種の名前も、一つずつ商標として登録されています。
CHAPTER 2フィアットとの時代
2-1 1969 年、半分ずつ
1969 年 6 月 21 日、フィアットがフェラーリの 50 パーセントを買ったことが発表されました。契約に署名したのはその三日前、6 月 18 日のトリノです。エンツォ・フェラーリと、フィアットのジャンニ・アニエッリが会って決めました。
公式の記事は、ここまでの道のりも書いています。エンツォは、レースにかかるお金を一人で背負い続けるのはもう無理だと分かっていました。1963 年には、フォードに売る寸前まで行きます。
フォードとの話し合いは 4 月から 5 月まで続きました。けれどもエンツォは、署名の直前で手を引きます。レースの部門を自分で決められなくなることを、受け入れなかったからです。
それでも、強い味方がほしいという気持ちは変わりませんでした。1965 年には、フィアットと取り決めを結びます。フェラーリが設計した 6 気筒のディーノのエンジンを、フィアットの工場でつくるというものです。
二つの会社の付き合いは、もっと前からありました。公式の記事は、最初の共同の仕事を 1950 年までさかのぼると書いています。途中ではアルファロメオが加わって三社になる話も出ましたが、アルファロメオは手を引き、フィアットとフェラーリの二社で話がまとまりました。
2-2 1988 年、九割
エンツォ・フェラーリは、1988 年 8 月 14 日に亡くなりました。90 歳でした。年次報告書は、その年にフィアットが持ち分を 90 パーセントに増やしたと書いています。残りの 10 パーセントは、エンツォの息子のピエロ・フェラーリが持ちました。
公式の記事は、亡くなる年のエンツォの様子を伝えています。90 歳の誕生日は、公の式をせず、会社で給料をもらっている人たちだけの「家族の集まり」にするよう、本人が指図しました。
その日、およそ 1700 人が、工場の生産ラインに並べた席で一緒に食事をしました。従業員には、F40 の模型と、銀の記念メダルが配られています。F40 は、エンツォが自分で送り出した最後の車でした。
亡くなったときの段取りも、本人が決めていました。知らせは葬儀が終わってから出すこと、葬儀に呼ぶ人は自分で書いた名簿のとおりにすること。記事は、生きているあいだと同じように、何ごとも成り行きに任せなかった、と書いています。
ひと月足らずあと、モンツァのイタリア・グランプリで、フェラーリの二台が一位と二位に入りました。この年のほかのレースをほとんど勝っていたマクラーレンが、二台とも止まったレースでした。
2-3 グループの中の独立
フィアットが九割を持ってからも、本拠はマラネッロのままでした。年次報告書は、1943 年の終わりから今日まで、マラネッロがずっと本拠だと書いています。
公式の記事には、この時代を振り返る一文があります。2016 年にフィアットのグループから離れたことで、フェラーリは、グループの中でずっと持っていた独立を、正式な形にできた、というものです。
つまり会社の見方では、フィアットの時代にも、フェラーリは自分で決める会社でした。持ち主は変わっても、マラネッロで車をつくり、レースに出るという中身は変わらなかった、ということです。
親会社の名前のほうは、何度か変わっています。年次報告書は、フェラーリが離れた相手を FCA と呼び、その FCA が 2021 年 1 月にプジョーの会社と一緒になって、ステランティスになったと書いています。
1969 年に手を結んだ二人、ジャンニ・アニエッリとエンツォ・フェラーリの名前は、2016 年の上場の日にも出てきます。会社の会長が、二人の後を継いだ人たちに礼を言ったからです。持ち主の話は、そこへつながっていきます。
CHAPTER 3上場と、いまの持ち主
3-1 ニューヨーク、そしてミラノ
フェラーリの株が初めて売り出されたのは、2015 年 10 月のニューヨーク証券取引所です。株の記号は RACE、レースという言葉そのものでした。
翌 2016 年 1 月 3 日、フィアットのグループからの分離が終わります。年次報告書によると、分離はいくつかの手続きを組み合わせたものでした。グループが持っていた 90 パーセントと、ピエロ・フェラーリの 10 パーセントを、新しい持株会社に移す。株を売り出す。そして、グループに残っていた株を、グループの株主たちに配る。
その次の日、1 月 4 日に、ミラノの取引所にも上場しました。ここでも記号は RACE です。
公式の記事は、ミラノの朝の様子を書いています。取引の始まりを告げる鐘を、会長のセルジオ・マルキオンネ、副会長のピエロ・フェラーリ、FCA の会長のジョン・エルカーンの三人が鳴らしました。取引所の建物は、フェラーリの赤い旗で飾られていました。
マルキオンネは、取引所の記念の帳面にこう書いています。フェラーリ、新しい目標。そして新しい出発点。記事によると、この上場で、市場で自由に売り買いされる株の割合は、10 パーセントから 66 パーセントに増えました。
3-2 いまの大きな株主
議決権の割合株の割合
いまのいちばん大きな株主は、エクソール(Exor N.V.)です。年次報告書によると、2026 年 2 月 4 日の時点で、株のおよそ 21.33 パーセントを持っています。エクソールの会長はジョン・エルカーンで、フェラーリの会長でもあります。
二番目は、ピエロ・フェラーリが作った信託です。株のおよそ 10.67 パーセントを持っています。株から生まれる議決権を使うのは、ピエロ・フェラーリ本人です。ピエロはいまも、会社の副会長です。
図を見ると、株の割合より、議決権の割合のほうが大きくなっています。エクソールは 32.32 パーセント、ピエロ・フェラーリは 16.17 パーセントです。
これは、株を長く持つ人に報いる仕組みがあるからです。最初からの株主と、三年以上続けて株を持っている人は、特別な議決権の株を受け取ることを選べます。報告書は、株主が入れ替わりにくくなるようにするための仕組みだと説明しています。
二つの株主のあいだには、取り決めもあります。2015 年 12 月 23 日に結ばれ、2026 年 1 月 3 日に改められました。株主総会の議題や、取締役の候補について、できるだけ同じ考えにまとまるよう相談する、というものです。
3-3 車だけの会社ではない
2025 年2024 年
年次報告書は、フェラーリの事業を三つの面で説明しています。スポーツカー、レース、ライフスタイルです。三つとも、同じ跳ね馬の印の下にあります。
売上で見ると、中心はやはり車です。2025 年の売上 7,146 百万ユーロのうち、車と部品が 6,005 百万ユーロでした。
二番目は、スポンサー、商業の取り決め、ブランドの売上で、820 百万ユーロです。前の年の 670 百万ユーロから増えました。報告書は、スポンサーとライフスタイルの伸びに加えて、F1 の前の年の順位が上がったことを理由に挙げています。レースの成績が、そのまま会社の売上に返ってくる仕組みです。
ライフスタイルの面では、自社の店が 16、フランチャイズの店が 2 あります。マラネッロとモデナの二つの博物館も、この面に入ります。
チームの名前として始まり、一度は会社の名前から消え、車の名前になり、いまは取引所の記号にまでなりました。持ち主は何度も変わりましたが、創業者の息子がいまも副会長として残っています。フェラーリという名前は、ずっと同じ家の名前でもあります。
SOURCES出典
- Ferrari N.V.「2025 Annual Report and Form 20-F」
https://ferrari.scene7.com/is/content/ferrari/Ferrari_Annual_Report_2025?s(2026-10-02 確認) - Ferrari 公式サイト「90 Legendary Years」
https://www.ferrari.com/en-EN/magazine/articles/90-years-legendary-museum-maranello(2026-10-02 確認) - Museo Storico Alfa Romeo「Scuderia Ferrari」
https://www.museoalfaromeo.com/en-us/news/Pages/Scuderia-Ferrari.aspx(2026-10-02 確認) - Ferrari 公式サイト「History」
https://www.ferrari.com/en-EN/history(2026-10-02 確認) - Ferrari 公式サイト History「1969 A New Partner」
https://www.ferrari.com/en-EN/history/moments/1969/a-new-partner(2026-10-02 確認) - Ferrari 公式サイト History「1988 Day of Farewell」
https://www.ferrari.com/en-EN/history/moments/1988/day-of-farewell(2026-10-02 確認) - Ferrari 公式サイト History「2016 Stock Market Launch」
https://www.ferrari.com/en-EN/history/moments/2016/stock-market-launch(2026-10-02 確認)
この記事は、上の資料の原文を確かめたうえで書いています。年や台数などの数は、資料に書かれているものだけを使いました。資料どうしで書き方が違う所は、本文でそのように断っています。記事の中の社名と車名は、各社の商標です。