GTO エヴォルツィオーネから一年あまり。エンジン、軽さ、形、そしてターボの出方
F40 は、エンツォ・フェラーリが自分で送り出した最後の車です。二つのターボを持つ V8、最高時速 324 キロメートル、飾りを取り去った室内。出てから四十年近くたっても、世界じゅうの愛好家がこの車を追いかけています。三回に分けて、この車を細かく読みます。一回目は、生まれた経緯と、車のつくりです。フェラーリの公式の資料と、競売の会社 RM Sotheby's の記録を読み合わせます。数字が資料によって違う所は、そのまま並べます。
CHAPTER 1生まれるまで
1-1 ターボの技術者と、走らなかった GTO
F40 の話は、一人の技術者から始まります。ニコラ・マテラッツィです。フェラーリの公式の記事によると、エンツォ・フェラーリは 1979 年にこの人を雇いました。当時のイタリアで、ターボの技術にいちばん詳しい人でした。
マテラッツィは、F1 の車 126C のエンジンにかかわり、そのあと GTO を開発する組を率いています。GTO は、グループB というレースのために設計された車でした。ところがそのレースがなくなり、GTO は道を走る車として世に出ます。
レースのために用意していた、もっと過激な試作車が残りました。GTO エヴォルツィオーネです。公式の記事は、この車を、GTO の上品さとはかけ離れた、妥協のない、攻撃的な姿の車だったと書いています。台数は、RM Sotheby's の記録では五台、Sotheby's の記事では六台ほどとされています。
公式の別の記事は、F40 の計画をエンツォに持ちかけたのはマテラッツィだったと書いています。エヴォルツィオーネでやった仕事を土台にして、道を走る新しい車をつくる、という案でした。
エンツォの側にも理由がありました。公式の記事によると、GTO がよく売れたので、エンツォは後を継ぐ車をつくらせたがっていました。会社の四十年という節目も、目の前に来ていました。
1-2 一年あまりで仕上げる
開発にかかった時間は、とても短いものでした。公式の記事の一つは一年足らず、もう一つは一年あまりと書いています。
速くできた理由として、公式の記事は、エンツォが開発の組にふだんより大きな自由を与えたことを挙げています。そのおかげで、ねらいのはっきりした、焦点のしぼれた車になった、と。
ねらいは、車を出したときの言葉に残っています。Sotheby's の記事は、発表の場でのエンツォの言葉を引いています。ルマンと GTO を思い出させるような車をつくってほしい、と自分は望んだ、というものです。
販売の担当者の言葉も残っています。自分たちは、とても速く、極端にスポーティで、質素な車にしたかった。客たちは、うちの車がぜいたくで快適になりすぎたと言っていた。F40 は、性能のほかは何も要らないという、いちばん熱心な持ち主のための車だ、と。
Sotheby's の記事によると、F40 になる計画が正式に動きだしたとき、エンツォは 88 歳でした。公式の記事は、F40 を、エンツォが自分で承認した最後の車だと書いています。
1-3 1987 年 7 月 21 日
F40 が発表されたのは、1987 年 7 月 21 日です。場所は、マラネッロの市民センターでした。名前の F はフェラーリ、40 は四十周年を表しています。
公式の年表は、その場で 900 件の注文が集まったと書いています。当時の定価は 380 百万リラでしたが、すぐに 16 億リラで人手に渡るようになりました。イギリスでの定価は 193,000 ポンドで、1980 年代の終わりには、初期の車が 100 万ポンドを超える値で売り買いされていたと、公式の記事は書いています。
発表の時期と場所については、RM Sotheby's の記録に、少し違う書き方があります。一般に公開されたのは 1987 年のフランクフルトのショーだった、というものです。マラネッロでの発表が先にあり、ショーでの公開があとに続いた、と読むことができます。
公式のページは、F40 を、エンツォ・フェラーリが立ち会って人々に披露された最後の車だと書いています。エンツォは、次の年の 1988 年 8 月に亡くなりました。
公式の年表によると、出来上がった車についてたずねられたエンツォは、本物のフェラーリだ、と答えるのを好んだそうです。
CHAPTER 2車のつくり
2-1 エンジン
| 項目 | 内容 |
|---|---|
| 形 | 90 度の V8。運転席の後ろに、縦に置く |
| 排気量 | 2936.25 cc(内径 82 mm、行程 69.5 mm) |
| 圧縮比 | 7.7 |
| 最高出力 | 478 馬力(7000 回転) |
| 最大トルク | 577 Nm(4000 回転) |
| 排気量 1 リットルあたり | 163 馬力 |
| 弁 | 気筒ごとに四つ |
| 過給 | ターボが二つ |
エンジンは、GTO の V8 を大きくしたものです。RM Sotheby's の記録は、型式を F120 040 と書いています。ターボは IHI のもので、吸い込む空気を冷やす装置はベール社のものでした。
公式の記事によると、エンジンの本体、弁の入る頭の部分、そのふた、空気を吸い込む管は、マラネッロの鋳物の工場で、シルミンというアルミニウムの合金を鋳てつくられました。回転の軸は、鋼のかたまりから削り出しています。
置き方にも理由があります。エンジンを縦に置いたのは、長さのそろった排気管と、二つのターボを収めるためだったと、公式の記事は説明しています。
出力の 478 馬力は、いまの目で見ると大きな数ではありません。けれども排気量は 3 リットルに届かず、車の重さは 1 トンあまりです。公式の記事は、この重さの車にこの出力は、この世のものとは思えないものだったと書いています。
公式の年表は、このエンジンの土台を、それまで F1 の車にしか使われていなかった作り方だと書いています。管を組んだ鋼の骨組みと、複合材を一つにした構造のことです。
2-2 軽さ
| 資料 | 書かれている重さ |
|---|---|
| フェラーリ公式のページ | 1100 kg(乾いた状態) |
| フェラーリ公式の記事(Automotive Nirvana) | 1250 kg(乾いた状態) |
| RM Sotheby's の 2017 年の記録 | 1,088 kg |
| Sotheby's の記事 | ヨーロッパ仕様 2,765 ポンド、アメリカ仕様 3,018 ポンド |
F40 の骨組みは、鋼の管を組んだものです。そこに、ケブラーの板を貼り合わせています。公式の年表によると、これで、ふつうの道の車の三倍のねじれにくさを得ました。
外の板も、複合材です。公式のページは、F40 を、車体の板に主に複合材を使った最初のフェラーリの量産車だと書いています。前と後ろをそれぞれ大きな一枚にしたので、板は全部で十一枚しかありません。公式の記事によると、扉と前後のふたは炭素繊維でできています。
重さの数字は、資料によって違います。上の表のとおり、フェラーリの公式の資料の中でも、1100 kg と 1250 kg の二つがあります。どの状態で量ったかの違いと思われますが、資料はそこまで書いていません。ここでは、どれが正しいとは決めずに並べておきます。
軽くするための工夫は、室内にも及んでいます。公式の記事によると、革も、音響の装置も、電動の鏡も、扉をまとめて締める仕組みもありません。室内の扉の取っ手は、重さを減らすために、一本の針金に替えられました。
窓も、軽い材料でした。RM Sotheby's の記録は、樹脂の窓、穴をあけた踏み板、布を張った複合材の座席を、重さを減らすための工夫として挙げています。ただし冷房だけは付いています。Sotheby's の記事は、エンジンの熱が室内にこもるのを防ぐために要った、と説明しています。
2-3 形
形をつくったのは、ピニンファリーナです。RM Sotheby's の記録と公式の記事は、描いた人の名前を挙げています。ピエトロ・カマルデッラです。仕事を率いたのは、ピニンファリーナの設計の長だったレオナルド・フィオラヴァンティでした。
公式の年表は、もう一人の名前を挙げています。技術者のマテラッツィです。ピニンファリーナは、マテラッツィがつくった技術と形の設計をもとに、車体を仕上げたと書かれています。
フィオラヴァンティ本人の言葉が、公式の記事に残っています。自分たちは仕事にまっすぐ飛び込んだ。風洞で広く調べて、空気の流れを整えた。低い前のふた、とても短い鼻先、空気の取り入れ口、そして後ろの翼。翼を直角に立てたのは、同僚のアルド・ブロヴァローネだった、と。
公式の別の記事は、F40 の後ろの翼を、数ある翼の中でいちばん偉大なものかもしれない、と書いています。翼が、車の姿の全体と切り離せないからです。記事は、F40 はほとんど一つの大きな空気の道具だ、とまで言っています。
公式のページは、形の中に残った昔の面影も書いています。屋根の輪郭と、横腹の黒い筋にだけ、308 の遠い面影がある。そのほかは、形も材料も、すべて新しかった、と。
CHAPTER 3走りと、評判
3-1 時速 200 マイルを超えた最初の量産車
| 項目 | 記録 |
|---|---|
| 最高速 | 324 km/h |
| 0 から 100 km/h まで | 4.1 秒 |
| 0 から 400 m まで | 11.9 秒 |
| 0 から 1000 m まで | 20.9 秒 |
F40 の最高速は、時速 324 キロメートルです。マイルでいうと 201 マイル。公式の記事は、F40 を、この大きな境を超えた最初の量産車だと書いています。
RM Sotheby's の記録は、その意味を説明しています。それまでの記録は、ポルシェの 959 が出した時速 197 マイルでした。長年の競争相手の記録を塗り替えたことを、フェラーリの人たちも、エンツォ自身も喜んだ、と。
公式の別の記事は、キロメートルで書いています。F40 は、時速 300 キロメートルの壁を破った最初の道の車だと名乗った、というものです。
止まった状態からの加速は、公式のページでは時速 100 キロメートルまで 4.1 秒です。時速 60 マイルまでの時間は、競売の記録によって 3.8 秒、4.2 秒、4.7 秒と、ばらばらに書かれています。測った人と条件が違うのでしょう。ここでは、公式のページの数字を表に載せました。
足まわりの数字も、公式の資料の中で少し違います。後ろのタイヤは、公式のページでは 335/35 ZR 17、公式の記事では 345/35 ZR17 です。後ろの車輪の幅は 13 インチあります。
3-2 ターボの出方
F40 を語る人は、たいてい同じことを言います。力の出方が急だ、ということです。
1987 年にフェラーリの F1 に乗っていたゲルハルト・ベルガーは、こう言いました。F40 はとても運転しやすい。ただし、レースの車に慣れていれば、と。公式の記事は、この言葉でさえ控えめだろうと書いています。
Sotheby's の記事は、ベルガーのもう一つの話を伝えています。時速 120 マイルで走っているときに、車輪が空回りして、不意を突かれたそうです。
アメリカの自動車の雑誌が 1992 年に書いた覚え書きも、同じ記事に引かれています。二速で、二つのターボに火が入った。ハンドルにしがみつこうとして、ハンドルを曲げてしまいそうだった、と。
助けてくれる仕掛けは、何もありません。公式の年表は、下手な運転を助ける電子の仕掛けを、わざと取り去ったと書いています。ブレーキを助ける装置も、空回りを抑える装置もありません。それでも、ルマンで五回勝ったデレク・ベルは、こう言っています。ターボが一気に効いてくるところが好きだ。車の動きは、すばらしく先が読める、と。
3-3 なぜ、色あせないのか
F40 は、つくられた台数が少ない車ではありません。それでも、値段は上がり続けています。Sotheby's の記事によると、2014 年には、アメリカ仕様の車は 100 万ドルから 140 万ドルほどでした。十年あとには、300 万ドルを大きく超えています。
理由を、資料から拾ってみます。一つは、エンツォの最後の車だということです。RM Sotheby's の記録は、だから F40 を最後の本物のフェラーリと考える専門家もいる、と書いています。
もう一つは、運転する人に何も足さないことです。公式の記事は、こう書いています。いまは、電気の車にどうやって魂を持たせるかを、フェラーリを含む自動車の会社が考えている時代だ。F40 は、その魂を持っている車の一つである。デジタルの世界の中で、F40 はアナログのかたまりだ、と。
三つ目は、壁に貼られた車だったことです。RM Sotheby's の記録は、F40 のポスターを部屋に貼っていた十代の子どもたちが、いまの収集家になったと書いています。
そして、危なさです。Sotheby's の記事の中で、RM Sotheby's の担当者は言っています。F40 を運転するときには、ほかの車より少し多く、危なさの要素がある。それを楽しむ人がいるのだと思う、と。急に来るターボは、欠点ではなく、この車が愛される理由の一つになっています。
SOURCES出典
- Ferrari 公式サイト「Ferrari F40 (1987)」
https://www.ferrari.com/en-EN/auto/f40(2026-10-02 確認) - Ferrari 公式サイト History「1987 Enzo's Dream」
https://www.ferrari.com/en-EN/history/moments/1987/enzos-dream(2026-10-02 確認) - Ferrari 公式サイト Magazine「Automotive Nirvana」
https://www.ferrari.com/en-US/magazine/articles/lasting-legacy-the-ferrari-f40(2026-10-02 確認) - Ferrari 公式サイト Magazine「The F40 at 30」
https://www.ferrari.com/en-EN/magazine/articles/the-ferrari-f40-revisited(2026-10-02 確認) - Ferrari 公式サイト Magazine「Great Ferrari Innovations: Aerodynamics」
https://www.ferrari.com/en-EN/magazine/articles/great-ferrari-innovations-aerodynamics(2026-10-02 確認) - Sotheby's「Everything You Need to Know about the Ferrari F40」
https://www.sothebys.com/en/articles/everything-you-need-to-know-about-the-ferrari-f40(2026-10-02 確認) - RM Sotheby's London 2017, Lot 117「1988 Ferrari F40」(車台番号 80786)
https://rmsothebys.com/auctions/lf17/lots/r152-1988-ferrari-f40/(2026-10-02 確認) - RM Sotheby's Arizona 2023, Lot 158「1992 Ferrari F40」(車台番号 94277)
https://rmsothebys.com/auctions/az23/lots/r0043-1992-ferrari-f40/(2026-10-02 確認) - RM Sotheby's Miami 2025, Lot 258「1991 Ferrari F40」(車台番号 89382)
https://rmsothebys.com/auctions/mi25/lots/r0050-1991-ferrari-f40/(2026-10-02 確認) - RR Auctions, Lot 17「1990 Ferrari F40」
https://rrauctions.com.au/lot/17(2026-10-02 確認)
この記事は、上の資料の原文を確かめたうえで書いています。年や台数などの数は、資料に書かれているものだけを使いました。資料どうしで書き方が違う所は、本文でそのように断っています。記事の中の社名と車名は、各社の商標です。