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NOTES 12

ミケロット。パドヴァの工場が、フェラーリをラリーへ連れ出した

308 GTB グループ4 から、288 GTO、F40、そして GT のレースへ

ミケロットは、イタリアのパドヴァにある工場の名前です。フェラーリの車を、山道を走るラリーで勝てる車に仕立てたことで知られています。フェラーリの公式の記録と、本人への取材記事、地元の新聞を読み合わせて、この工場が何をしてきたのかをたどります。資料どうしで書き方が違う所は、そのまま並べます。

CHAPTER 1パドヴァの工場

1-1 1969 年に始まった

ミケロットを作ったのは、ジュリアーノ・ミケロットという技術者です。始まりは 1969 年、ヴェネツィアに近い町、パドヴァでした。

始まりの形については、資料によって書き方が少し違います。軸受けの会社 SKF の取材記事は、フェラーリの販売店として始まったと書いています。パドヴァの新聞は、自動車の整備工場として作られたと書いています。フェラーリのクラブの記事は、1969 年に工場ができ、1973 年にフェラーリの整備の指定を受けたとしています。

どの資料でも同じなのは、年と町です。1969 年、パドヴァ。そこから、車を速くする仕事が育っていきました。

いまの仕事について、新聞はこう書いています。レースの車、試作の車、高性能の道を走る車の、設計と開発と製作。世界の大きな自動車会社のいくつかと、表に名前を出さずに一緒に仕事をしている、とも書かれています。

会社の名前は、SKF の記事ではミケロット・アウトモービリ、2025 年の新聞ではミケロット・エンジニアリングです。工場はパドヴァのキエザヌオーヴァ通りにあります。

1-2 ストラトスで覚えたこと

ミケロットが最初に名前を上げたのは、フェラーリではなく、ランチア・ストラトスでした。ストラトスは、フェラーリのディーノのエンジンと駆動の部品を使ったラリーの車です。

SKF の記事の中で、ミケロット本人が話しています。ストラトスに取り組んだ経験が、会社のその後のラリーの仕事の土台になった、と。

成績は、パドヴァの新聞が数えています。1970 年代に、ランチア・ストラトスでイタリアのラリー選手権を五回とり、総合優勝は三十回を超えました。

2025 年 6 月、工場では五十年の節目を祝う集まりがありました。五十年前に始まったのは、ミケロットと、ドライバーのトニー・ファッシーナの組み合わせです。新聞は、その年の終わりに二人がイタリアのラリー選手権をとったと書いています。

ミケロット本人は、ラリーをこう説明しています。自分たちにとってラリーは、まず道のレースだった。舗装の道のレースは、車の全部が試される。ワイパーから前照灯、室内の冷やし方まで、どの部品も限界まで使われる、と。

1-3 フェラーリを、道のレースへ

フェラーリの 308 GTB は、1975 年に出た V8 の車です。この車をラリーに使おうという考えは、まずフェラーリの中で生まれました。

Girardo & Co. の解説によると、フェラーリは車台番号 22711 の 308 GTB を使って、レース用の試作車を作っています。フィオラーノのコースで念入りに試され、ニキ・ラウダも運転しました。グループ4 の認定まで取っています。ところが、この計画は途中で止められました。理由は分かっていない、と解説は書いています。

そこへ入ってきたのが、ミケロットでした。ストラトスの次の車を探していた彼は、308 GTB に目を付けます。ストラトスより軸の間が長く、もっと力のあるエンジンが車の真ん中寄りに載っていたからです。

ミケロットはエンツォ・フェラーリに会い、自分の考えを話して、認められました。解説は、F1 に向けている力を割かずに、新しい種類のレースに出られることが、フェラーリにとって都合がよかったのだろうと見ています。

フェラーリの公式の記録も、同じ出発点を書いています。1970 年代の終わりに、パドヴァのミケロットの工場が、当時の一流の車と競える車を作り上げた。注文は、イタリアのいくつものチームと、フランスの輸入元シャルル・ポッツィのフェラーリ・フランスから来た、と。

CHAPTER 2308 GTB グループ4

2-1 軽く、強く

TABLE308 GTB グループ4(Girardo & Co. の解説の数)
項目内容
エンジンV8、2,926 cc。燃料噴射に替えて、およそ 60 馬力を上乗せ
重さ1982 年の時点で 960 kg。道を走る車より 300 kg 軽い
決まりの上の最低の重さ950 kg
最高速歯車の組み合わせで、時速 110 マイルから 170 マイル
ブレーキの円盤305 mm
燃料タンク40 リットルが二つ

ミケロットの 308 GTB は、道を走る車の車台から作られました。フェラーリの公式の記録は、鋼の代わりにアルミニウムとガラス繊維を使って軽くした、と書いています。

Girardo & Co. の解説は、もっと細かく書いています。車台には、車体と一つになった転倒のときの保護の骨組みが入りました。ボディはガラス繊維で、開く所はケブラーです。後の車は、全部がケブラーになりました。

軽くする仕事は、徹底していました。前照灯を持ち上げる電動のモーターまで外しています。その結果が、表の 960 kg です。

エンジンは、気化器を燃料噴射に替え、大きな弁と、圧縮の高いピストンを入れました。ピストンは、365 GTB/4 のレース仕様のものを使っています。

最初の一台がパドヴァの工場を出たのは 1978 年だと、フェラーリの公式の記録は書いています。作られたのは 1984 年までに十一台でした。Girardo & Co. も、グループ4 の車は十一台だとしています。

2-2 アンドリューと、フランスのチーム

TIMELINE308 GTB グループ4 の歩み
  1. 1978最初の一台がパドヴァを出る。3 月のタルガ・フローリオで初めて走る
  2. 1979モンツァ・ラリーで最初の優勝
  3. 1981アンドリューがツール・ド・フランス・オートで優勝
  4. 1982ツール・ド・フランス・オートで二年続けて優勝。イタリアのラリー選手権をとる
  5. 1983四輪駆動の車に押されはじめる
  6. 1984この年までに十一台が作られた

初めてのレースは、1978 年 3 月のタルガ・フローリオでした。変速機の不具合で止まりましたが、速さは見せた、と解説は書いています。最初の優勝は、公式の記録によると 1979 年のモンツァ・ラリーです。

この車といちばん結びつけて語られるドライバーは、フランス人のジャン=クロード・アンドリューです。公式の記録は、1972 年にシャルル・ポッツィのチームの 365 GTB/4 でルマン 24 時間でも勝った、多才なドライバーとして紹介しています。

1981 年、フェラーリ・フランスは、赤と白の 308 GTB をヨーロッパのラリー選手権に出します。解説によると、アンドリューは舗装の九戦に出て、四戦を勝ちました。その一つが、ツール・ド・フランス・オートです。選手権は二位でした。

1982 年、アンドリューはツール・ド・フランス・オートをもう一度勝ちます。車の色は、スポンサーが替わって赤から青になりました。公式の記録は、この青い車があまりに美しかったので、2016 年に、ある客が自分のフェラーリ 488 を同じ色で注文した、という話を添えています。

同じ 1982 年の 5 月、世界ラリー選手権の一戦であるツール・ド・コルスで、アンドリューは二位に入りました。解説は、フェラーリが世界ラリー選手権で表彰台に上がったのは、これが最初で、ただ一度だと書いています。

2-3 1982 年のイタリア選手権

1982 年は、308 グループ4 にとっていちばんよい年でした。公式の記録は、この年のイタリアのラリー選手権で、製造者の部とドライバーの部の両方をとったと書いています。乗ったのは、ジョリー・クラブのチームのトニーノ・トニャーナとマッシモ・デ・アントーニです。

一年の流れも書かれています。3 月のタルガ・フローリオで勝ち、二位にもアンドリューの 308 が入りました。チョッコのラリーでも勝ち、9 月のピアンカヴァッロのラリーで三勝目を挙げます。

ただ、最後の二戦で、トニャーナとデ・アントーニはフェラーリではなく、ランチア 037 に乗りました。公式の記録はそのことを書いたうえで、アオスタのラリーで別の組の 308 が二位に入り、製造者の部のタイトルがフェラーリに決まった、としています。

この最後の二戦について、Girardo & Co. の解説は、もっと苦い書き方をしています。ジョリー・クラブがトニャーナにランチアを割り当てたので、タイトルの手柄が二つの銘柄に分けられた、というものです。公式の記録は、そこまでは書いていません。二つの書き方があることを、ここではそのまま並べておきます。

パドヴァの新聞は、トニャーナを、跳ね馬の車でラリーの選手権をとったただ一人のドライバーとして紹介しています。2025 年の工場の集まりにも、本人が来ていました。

1983 年にも 308 グループ4 はいくつか勝ちましたが、公式の記録によると、そのあとは四輪駆動の車に勝てなくなりました。

CHAPTER 3GTO、F40、そして GT のレース

3-1 グループB と、走らなかった GTO

1983 年、ラリーの決まりが新しくなり、グループB が始まりました。認定に要る生産の台数は、グループ4 の 400 台から、200 台に減っています。

ミケロットは、308 GTB のグループB 仕様も作りました。Girardo & Co. の解説によると四台です。決まりの都合で、グループ4 のときほど大きくは作り替えられず、道を走る車に近い形になりました。四つの弁を持つエンジンと新しい燃料噴射で、出力は 320 馬力です。スペインのラリー選手権を、この車がとっています。

その先に、GTO がありました。SKF の記事の中で、ミケロットは話しています。1980 年代のはじめに、フェラーリから新しい車、288 GTO の開発の仕事を頼まれた。認定のためには、少なくとも 200 台を作らなければならなかった、と。

ところが、この車はレースを走りませんでした。1986 年のツール・ド・コルスで、ランチアに乗っていたアンリ・トイヴォネンとセルジオ・クレストが亡くなり、グループB そのものが禁止されたからです。作られた 272 台は、すべて道を走る車として残りました。

フェラーリの公式の記録も、同じことを短く書いています。マラネッロはラリーをやめるつもりはなく、1985 年に向けて GTO の仕事を始めた。しかし決まりが変わって、計画は消えた、と。

3-2 F40 へつながる線

走らなかった GTO には、続きがあります。SKF の記事によると、レース用に仕立てた GTO エヴォルツィオーネが、少ない数だけ作られました。いまは、世界の名の知れた収集家の手にあります。

パドヴァの新聞は、ミケロットの仕事を一本の線で書いています。308 グループ4 で身につけたものをもとに、288 GTO の開発に加わり、F40 の誕生まで関わった、というものです。

SKF の記事も、同じ線を書いています。それ以来ミケロットは、スポーツカーとラリーの分野のフェラーリのレースの車を、ほとんどすべて開発するか製作してきた。F40 のようなスーパーカーの開発でも、フェラーリと一緒に仕事をした、と。

F40 のレース仕様については、フェラーリのクラブの記事が台数を挙げています。1989 年の F40 LM が 19 台、1993 年の F40 GT が七台、1994 年の F40 GTE が七台です。この台数は、今回読んだフェラーリの公式の資料では確かめられませんでした。クラブの記事にある数として、ここに写しておきます。

同じクラブの記事は、GTO エヴォルツィオーネが、決まりが変わったあと、F40 を開発するための実験の車になったとも書いています。走る場所を失った車が、次の車の土台になったことになります。

3-3 いまのミケロット

SKF の記事は 2015 年のものです。その中でミケロットは、前の年の成績を誇らしく話しています。2014 年に、ドライバーと製造者の世界選手権をとった。ヨーロッパのルマン・シリーズなども合わせて、タイトルは全部で九つだった、と。

記事は、いまフェラーリが GT のレースで主役の一人でいられるのは、ミケロットとの関係のおかげだ、とまで書いています。勝つために要るものとして本人が挙げたのは、よく動く組織、新しい考え、そして骨身を惜しまない腕のよい人たちでした。

フェラーリのクラブの記事には、最近の本人の言葉が引かれています。フェラーリとの仕事は続けている。けれども会社が大きくなり、一つの会社とだけ組むわけにはいかなくなった。工場には 100 人が働き、ほかに 200 人が間接に関わっていて、その人たちの仕事を守らなければならない、と。

パドヴァの新聞も、ミケロットがいくつもの自動車会社と仕事をしていると書いています。その一つが、よみがえったイゾッタ・フラスキーニです。

新聞は、ミケロット本人の言葉で記事を締めています。自分の務めは、この集まりと、この職人たちが、これからも続いていくようにすることだ、と。パドヴァの工場は、五十年を超えて、いまも車を速くする仕事を続けています。

SOURCES出典

  1. Ferrari 公式サイト History「1982 Unstoppable 308 GTB」
    https://www.ferrari.com/en-EN/history/moments/1982/unstoppable-308-gtb(2026-10-02 確認)
  2. Ferrari 公式サイト「308 GTB」
    https://www.ferrari.com/en-EN/auto/308-gtb(2026-10-02 確認)
  3. SKF Evolution「The spirit of competition」(2015 年 4 月 1 日)
    https://evolution.skf.com/us/the-spirit-of-competition/(2026-10-02 確認)
  4. Il Mattino di Padova「Michelotto si svela」(2025 年 6 月 21 日)
    https://www.mattinopadova.it/cronaca/michelotto-azienda-padova-storia-anniversario-cosa-produce-crefv6s7(2026-10-02 確認)
  5. Girardo & Co.「Guide to the Ferrari 308 GTB Michelotto Group IV and Group B rally cars」
    https://girardo.com/features/girardo-co-s-guide-to-the-ferrari-308-gtb-michelotto-group-iv-and-group-b-rally-cars/(2026-10-02 確認)
  6. Scuderia Ferrari Club Riga「Giuliano Michelotto - the wizard of Ferrari rally cars」
    https://sfcriga.com/giuliano-michelotto-the-wizard-of-ferrari-rally-cars(2026-10-02 確認)

この記事は、上の資料の原文を確かめたうえで書いています。年や台数などの数は、資料に書かれているものだけを使いました。資料どうしで書き方が違う所は、本文でそのように断っています。記事の中の社名と車名は、各社の商標です。

CONTRIBUTOR山岸 勇輝Yuuki YAMAGISHI

独立研究者(Independent Researcher)。公式の資料や統計など、一次の資料にあたって書くことを続けている。

yamagishiyuuki.com