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NOTES 06

フェラーリのレースを、節目で読む

1947年のローマから、三年続いたル・マンまで。公式の年表が選んだ場面

フェラーリは、車を売るためにレースをする会社ではなく、レースをするために車を売ってきた会社だとよく言われます。その歩みを全部たどると一冊の本になってしまうので、ここでは公式サイトの年表が「節目」として選んでいる場面だけを拾います。F1と耐久レース、二本の柱が交互に出てきます。

CHAPTER 1最初の五年(1947年から1952年)

1-1 ローマ、そしてル・マン

フェラーリの名前の車の最初の勝ちは、1947年5月25日のローマ・グランプリです。車は 125 S、運転したのはフランコ・コルテーゼでした。この年、125 S は六つのレースに勝っています。

二年あとの1949年、フェラーリは早くも世界でいちばん有名な耐久レースに勝ちます。ル・マン24時間です。車は 166 MM。運転したのはルイジ・キネッティでした。

公式の年表は、この勝ちを一人の男の戦いとして書いています。組んだ相手で、車の持ち主でもあったイギリスの貴族が体調を崩し、一時間ほどしか運転できませんでした。キネッティは20時間を超えて、一人でハンドルを握り続けます。年表によれば、2リットルの車がル・マンに勝ったのも、V12のエンジンが勝ったのも、これが初めてでした。車を作り始めて二年の会社が、いきなり勝ったわけです。

キネッティはイタリア生まれで、アメリカに住んでいました。1932年と1934年には、アルファロメオでル・マンに勝っています。エンツォとは、そのアルファロメオを通じた古い友人でした。戦争のあとエンツォを訪ね、フェラーリの車をアメリカへ入れたいと申し出ます。レースに出たのは、勝って車を売るためでした。

1-2 F1は、二戦目から

1950年、国際自動車連盟は新しい最上位の部門を始めます。F1の世界選手権です。年表によれば、ヨーロッパの六つのグランプリに、アメリカのインディ500を足した七戦でした。

開幕戦はイギリスのシルバーストンでしたが、スクーデリア・フェラーリは出ていません。同じ日、ベルギーのF2のレースに出て、一位から三位までを取っています。当時は、どのレースに出るかをチームが選べました。

フェラーリのF1の初戦は、二戦目のモナコ・グランプリ。1950年5月21日です。エンツォは過給機付きの 125 F1 を三台送りました。運転したのはアルベルト・アスカリ、ルイジ・ヴィロレージ、フランス人のレイモン・ソメール。年表は、この車が相手より力が無く、重かったことを隠していません。エンツォもそれを知っていて、もう次の車を考えていました。それでもアスカリは二位に入ります。

年次報告書は、この初戦に触れてこう書いています。世界で二番目のグランプリから出ているスクーデリア・フェラーリは、F1でいちばん長く走り続けているチームである、と。

1-3 最初の勝ち、最初の王者

F1での最初の勝ちは、参戦の翌年に来ました。1951年7月14日、シルバーストン。ホセ・フロイラン・ゴンザレスが 375 で、それまで誰も勝てなかったアルファロメオを破ります。

その次の年、フェラーリは選手権そのものを取ります。1952年9月7日のモンツァ。アスカリは六戦続けての勝ちで、世界王者になりました。スクーデリア・フェラーリにとって、初めての運転手の世界一です。年表によれば、アスカリはこの年、いちばん前からのスタートを五回、レース中のいちばん速い周を六回記録しています。

この年と翌年の選手権は、F2の規則で争われました。フェラーリが出したのは、2リットルの四気筒を積んだ 500 F2 です。フェラーリの公式の記事は、アスカリが1952年と1953年に二年続けて世界王者になったことを「世界で初めて」と書いています。

1952年にはもう一つ、珍しい出来事があります。エンツォはアスカリのために、インディ500へ車を一台送りました。375 インディアナポリスです。年表によれば、マラネッロがこのレースに公式に出たのは、これが最初で最後でした。

CHAPTER 2耐久レースの王と、五人の王者(1953年から1979年)

2-1 メーカーの世界一は、スポーツカーから

いまのF1には、運転手の選手権と、チームの選手権があります。けれど最初はそうではありませんでした。公式の年表によれば、F1にチームの称号ができたのは1958年です。それまでF1が与えていたのは、運転手の称号だけでした。

メーカーに直接与えられる世界一は、別のところで先に始まっています。1953年に始まった、スポーツカーの世界選手権です。だから当時は、ワークスの運転手の全員が、F1とスポーツカーの両方を走りました。

このスポーツカーの選手権は、レースを町の人に近づけるものでもありました。年表が挙げるミッレ・ミリア、タルガ・フローリオ、カレラ・パナメリカーナは、ふつうの道や町の通りを閉じずに、あるいは一部だけ閉じて走るレースです。

フェラーリはこの選手権を何度も取りました。年表の別の記事は、マイク・ホーソーンが53年、54年、57年、58年のスポーツカーの称号に貢献したと書いています。1961年には、F1の運転手とチーム、それにスポーツカーの世界選手権という三つを、一つの年に取りました。

2-2 ル・マンは「マラネッロの領地」

耐久レースの頂点は、やはりル・マン24時間です。年表は、1960年からのル・マンを「マラネッロの領地」と呼んでいます。

1960年からの三年は、オリヴィエ・ジャンドビアンが三回続けて勝ちました。一回はベルギー人どうしの組で、二回はフィル・ヒルと。この二人は1958年にも勝っています。

1963年6月16日は、イタリアにとって特別な日になりました。ロレンツォ・バンディーニとロドヴィコ・スカルフィオッティが 250 P で勝ちます。イタリア人だけの組が、イタリアの車でル・マンに勝ったのは、このときが最初でただ一度です。この年、フェラーリは一位から六位までを占めました。1964年にも勝って四年続けての勝ちになり、年表はそのあとも勝ちが続いたと書いています。

1965年の勝者は 250 LM でした。そのあと、フェラーリがル・マンの総合の一位に戻るまでには、とても長い時間がかかります。

2-3 ホーソーンからシェクターまで

このあいだのF1の王者を、フェラーリの公式の記事に沿って並べます。

1958年、マイク・ホーソーン。差は1点でした。イギリス人として初めての世界王者です。1961年、フィル・ヒル。年表によれば、車は 156 F1 で、エンジンを運転席の後ろに置いた最初のフェラーリのF1でした。ヒルはアメリカ人として初めての王者になります。この年も差は1点でした。二位は同じフェラーリのヴォルフガング・フォン・トリップスで、モンツァの事故で命を落としています。勝った年にも、影はありました。

1964年、ジョン・サーティース。グレアム・ヒルとの差はここでも1点でした。サーティースはオートバイでも世界王者になっていて、二輪と四輪の両方で世界一になったのは、いまもこの人だけです。

1975年、ニキ・ラウダ。車は 312 T です。年表によれば、T は「横置き」を表します。変速機を横向きにして後ろの車輪の前に置き、重さをできるだけ車の中心に寄せました。短く、扱いやすい車になります。

そして1979年、ジョディ・シェクター。車は 312 T4 でした。公式の記事は、これを「シューマッハの時代の前の、最後の世界選手権」と書いています。次の王者が出るまで、長い空白が始まります。

CHAPTER 3シューマッハから、いまへ(2000年から)

3-1 二十一年ぶり

2000年の年表の記事には「21年後」という題が付いています。シェクターの1979年から数えて、二十一年。ミハエル・シューマッハが、フェラーリに運転手の称号を取り戻しました。

楽な年ではありませんでした。シューマッハは最初の三戦に勝ちますが、7月の三つのレースで一点も取れず、相手との差はほとんど無くなります。決着が付いたのは、10月8日の日本でのレースでした。

そこからの数年は、記録ずくめです。年表は2004年の記事に「止められない」という題を付けています。シューマッハとルーベンス・バリチェロの二人で、18戦のうち15戦に勝ちました。フェラーリはこの年、チームとして14回目の称号を取り、シューマッハは自分の七回目の世界王者になります。公式の記事によれば、この年の車 F2004 は13回勝ちました。

年表は、七回という数を「ほかの運転手が近づいたことさえない」と書いています。その記事が書かれた時点での話です。

3-2 2007年と2008年

シューマッハのあとの王者は、キミ・ライコネンです。2007年、最終戦のブラジルで勝ち、1点差で世界王者になりました。公式の記事は、これを「信じられない追い上げ」と書いています。

翌年の2008年には、チームとして16回目の称号を取りました。年表の記事の題は「まだ王者」です。この年には、もう一つ珍しい記録があります。モンツァで、フェラーリのエンジンを積んだ別のチームの車が勝ちました。運転したのは若いセバスチャン・ベッテルです。年表によれば、フェラーリ以外の車がマラネッロのエンジンで勝ったのは、これが最初で、その時点でただ一度でした。

2025年の年次報告書は、数字をこうまとめています。1950年に世界選手権が始まってから、スクーデリア・フェラーリが取った称号は、チームが16回、運転手が15回。F1の歴史でいちばん多い数です。

TIMELINEこの記事に出てくる、フェラーリのF1の王者
  1. 1952アルベルト・アスカリ。フェラーリで最初の世界王者
  2. 1953アスカリ。二年続けて
  3. 1958マイク・ホーソーン
  4. 1961フィル・ヒル
  5. 1964ジョン・サーティース
  6. 1975ニキ・ラウダ
  7. 1979ジョディ・シェクター
  8. 2000ミハエル・シューマッハ。二十一年ぶり
  9. 2004シューマッハ。自分の七回目
  10. 2007キミ・ライコネン

同じ報告書は、会社が抱える危うさを並べる章で、正直にこうも書いています。いちばん新しい運転手の称号は2007年、チームの称号は2008年である、と。F1でいちばん勝ってきたチームは、そのあと長く待っています。

3-3 ル・マンに帰る

F1で待つあいだに、もう一本の柱が戻ってきました。耐久レースです。

2023年、フェラーリは 499P という車で、耐久レースのいちばん上の部門に戻ります。年表によれば、五十年ぶりのことでした。そして、開催から百年目にあたるル・マン24時間に、戻った年にいきなり勝ちます。勝ったのは51番の車で、運転したのはアレッサンドロ・ピエール・グイディ、ジェームズ・カラド、アントニオ・ジョヴィナッツィです。

年表は数字を添えています。これがル・マンでの十回目の総合優勝で、部門ごとの勝ちを29回足すと、ル・マンでの勝ちは合わせて39回になる、と。一つ前の総合優勝は、1965年の 250 LM。58年ぶりでした。

FIGUREル・マン24時間での勝ち(2023年の時点。公式の年表の数)
総合優勝10
部門ごとの勝ち29

勝ちは一度で終わりませんでした。2024年にも 499P がル・マンに勝ちます。同じ年、296 GT3 はデイトナ24時間に勝ちました。年表によれば、デイトナでは十年ぶりの勝ちです。

年次報告書は、その先まで書いています。フェラーリは2023年、2024年、2025年と、三年続けてル・マン24時間に勝った。そして2025年には、世界耐久選手権のメーカーと運転手の両方の称号を取った。耐久レースのいちばん上の称号がマラネッロに戻るのは、53年ぶりだった、と。

TIMELINEこの記事に出てくる、ル・マン24時間の勝ち
  1. 1949166 MM。フェラーリの最初の勝ち
  2. 1958ジャンドビアンとフィル・ヒル
  3. 1960この年から、ジャンドビアンが三回続けて勝つ
  4. 1963250 P。イタリア人だけの組が勝つ
  5. 1964四年続けての勝ち
  6. 1965250 LM
  7. 2023499P。58年ぶりの総合優勝
  8. 2024499P
  9. 2025三年続けての勝ち

SOURCES出典

  1. Ferrari 公式サイト History「1947 First Victory」
    https://www.ferrari.com/en-EN/history/moments/1947/first-victory(2026-10-02 確認)
  2. Ferrari 公式サイト History「1949 Triumph at Le Mans」
    https://www.ferrari.com/en-EN/history/moments/1949/triumph-at-le-mans(2026-10-02 確認)
  3. Ferrari 公式サイト History「1950 Debut in F1」
    https://www.ferrari.com/en-EN/history/moments/1950/debut-in-f1(2026-10-02 確認)
  4. Ferrari 公式サイト History「1951 First F1 Win」
    https://www.ferrari.com/en-EN/history/moments/1951/first-f1-win(2026-10-02 確認)
  5. Ferrari 公式サイト History「1952 Victory for Ascari」
    https://www.ferrari.com/en-EN/history/moments/1952/victory-for-ascari(2026-10-02 確認)
  6. Ferrari 公式サイト History「1953 Sportscar Champions」
    https://www.ferrari.com/en-EN/history/moments/1953/sportscar-champions(2026-10-02 確認)
  7. Ferrari 公式サイト History「1958 Elegant Champion」
    https://www.ferrari.com/en-EN/history/moments/1958/elegant-champion(2026-10-02 確認)
  8. Ferrari 公式サイト History「1961 Red Monopoly」
    https://www.ferrari.com/en-EN/history/moments/1961/red-monopoly(2026-10-02 確認)
  9. Ferrari 公式サイト History「1963 Le Mans, Italy」
    https://www.ferrari.com/en-EN/history/moments/1963/le-mans-italy(2026-10-02 確認)
  10. Ferrari 公式サイト History「1964 Hero of the Two Worlds」
    https://www.ferrari.com/en-EN/history/moments/1964/hero-of-the-two-worlds(2026-10-02 確認)
  11. Ferrari 公式サイト History「1975 Lauda Champion」
    https://www.ferrari.com/en-EN/history/moments/1975/lauda-champion(2026-10-02 確認)
  12. Ferrari 公式サイト History「2000 21 Years Later」
    https://www.ferrari.com/en-EN/history/moments/2000/21-years-later(2026-10-02 確認)
  13. Ferrari 公式サイト History「2004 Unstoppable」
    https://www.ferrari.com/en-EN/history/moments/2004/unstoppable(2026-10-02 確認)
  14. Ferrari 公式サイト History「2008 Still Champions」
    https://www.ferrari.com/en-EN/history/moments/2008/still-champions(2026-10-02 確認)
  15. Ferrari 公式サイト History「2023」
    https://www.ferrari.com/en-EN/history/moments/2023/2023(2026-10-02 確認)
  16. Ferrari 公式サイト History「2024」
    https://www.ferrari.com/en-EN/history/moments/2024/2024(2026-10-02 確認)
  17. Ferrari Magazine「90 Legendary Years」(2019年6月10日)
    https://www.ferrari.com/en-EN/magazine/articles/90-years-legendary-museum-maranello(2026-10-02 確認)
  18. Ferrari N.V.「2025 Annual Report and Form 20-F」
    https://ferrari.scene7.com/is/content/ferrari/Ferrari_Annual_Report_2025?s(2026-10-02 確認)

この記事は、上の資料の原文を確かめたうえで書いています。年や台数などの数は、資料に書かれているものだけを使いました。資料どうしで書き方が違う所は、本文でそのように断っています。記事の中の社名と車名は、各社の商標です。

CONTRIBUTOR山岸 勇輝Yuuki YAMAGISHI

独立研究者(Independent Researcher)。公式の資料や統計など、一次の資料にあたって書くことを続けている。

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