フランスの輸入元が言い出し、パドヴァのミケロットがつくった。アメリカ、イタリア、そしてルマン
F40 は、道を走るための車として売られました。けれども、あの姿を見てレースを考えない人はいません。レースの F40 をつくったのは、フェラーリの工場ではなく、パドヴァのミケロットです。言い出したのは、フランスの輸入元でした。三回目は、F40 LM、F40 GT、F40 GTE という三つのレースの車と、ルマン 24 時間での戦いを読みます。資料は、RM Sotheby's の出品の記録と、ミケロットの仕事を調べた記事です。台数は資料によって違うので、そのまま並べます。
CHAPTER 1F40 LM
1-1 言い出したのは、フランスの輸入元
F40 が発表されると、すぐに同じ問いが出ました。この車は、レースで走れるのではないか。RM Sotheby's の記録は、レース用の部品をたくさん使った車だったので、そういう見方がすぐに広まったと書いています。
動いたのは、フランスの輸入元シャルル・ポッツィの会社でした。記録によると、その会社の責任者ダニエル・マランが、レース用の F40 の開発を言い出し、仕事をジュリアーノ・ミケロットに任せています。
ミケロットの仕事を調べた記事は、フェラーリの中の様子も書いています。1987 年が終わる前から、レースの計画を始めるよう求める声が、フェラーリの経営の責任者に届いていた。けれども工場の中からは、だれも動かなかった。こんども、フェラーリを動かしたのはポッツィの会社だった、と。
フェラーリは、やがてこの計画を正式に認めます。ただし、記事によると条件が付きました。ポッツィとミケロットのあいだで契約を結ぶこと。はじめは二台だけにすること。その二台は、フェラーリの持ち物とすること。
名前は F40 LM。LM はルマンの頭文字です。RM Sotheby's の記録は、いつかルマンを走るつもりであることを表す名前だった、と書いています。
1-2 700 馬力を超えるエンジン
F40 LM のいちばんの違いは、エンジンです。RM Sotheby's の記録によると、アメリカとヨーロッパのレースの決まりでは、車を軽くできる幅が限られていました。そこで、力を上げるほうに手を入れています。
吸い込む空気を冷やす装置を大きくし、弁を動かす軸を替え、燃料の調整を直し、ターボの圧を上げました。出力は 720 馬力。道の車より 242 馬力多い数です。
車のほうも、レースに合わせています。大きなブレーキ、幅の広い車輪と柔らかいタイヤ、低くした車高。車体には大きな前の翼、大きな穴のあいた前のふた、床の下の空気の通り道、角度を変えられる巨大な後ろの翼が付きました。重さは、別の記録によると 1,050 キログラムです。
これは、アメリカのレース向けの仕様です。同じ時期に、ヨーロッパのレース向けの「GTC」という仕様もつくられました。空気を絞る部品を大きくして、出力は 760 馬力。記録は、あとから出た F40 GT や GTE のほうが進んでいる所もあるが、F40 の中でいちばん力が強いのは、この GTC 仕様の LM だと書いています。
車台番号 95448 は、その GTC 仕様の一台です。1992 年 12 月に工場で完成し、樹脂の引き戸の窓が付いていました。2025 年の競売で、11,005,000 ドルで売れています。
1-3 何台つくられたか
| 資料 | 書かれている台数 |
|---|---|
| RM Sotheby's の 2025 年の記録 | 19 台 |
| Sotheby's の記事 | 19 台 |
| RM Sotheby's の 2026 年の記録 | 18 台 |
| ミケロットを調べた記事 | はじめの二台のあとに 17 台。ほかに、試作の車を改めたものが一台 |
F40 LM の台数は、資料によって少し違います。いちばん多く書かれているのは 19 台です。RM Sotheby's の 2025 年の記録は、車台番号 95448 を「19 台のうちの 14 台目」と書いています。
ミケロットを調べた記事は、内わけを書いています。はじめの二台は、車台番号 79890 と 79891 です。そのあと、17 台がつくられました。
それとは別に、もう一台あります。車台番号 74045 です。もとは工場の試作の車で、あとから LM の仕様に改められました。この一台を数に入れるかどうかで、台数が変わってきます。
はじめの二台は、アメリカを走りました。RM Sotheby's の記録によると、フランスのフェラーリのチームの二台に乗ったのは、ジャン=ピエール・ジャブイーユ、ジャン・アレジ、ジャン=ルイ・シュレッサーです。五つのレースに出て、表彰台に五回上がりました。
チームを率いたのは、ジャン・サージュです。F1 のルノーのチームを率いた人で、1989 年にフランスのフェラーリに移り、二年のあいだ、アメリカでの F40 の計画を受け持ちました。
CHAPTER 2F40 GT と F40 GTE
2-1 ルマンを走れなかった理由
LM という名前なのに、はじめの F40 LM はルマンを走っていません。ミケロットを調べた記事が、理由を書いています。
もともとの考えは、世界のスポーツカーの選手権に出ることでした。けれどもそれができないと分かり、アメリカの選手権に切り替えます。その時点で、ルマンを走らない車になりました。
もう一つ、車の側の理由もありました。記事によると、とても速い速さで試したとき、車の落ち着きに問題が出ています。車高を下げ、ばねと減衰の部品を替え、前に翼を足すなど、いろいろ試しました。けれども、ルマンの長い直線を安心して走れるだけの改善は得られなかった、と記事は書いています。
道の F40 の最高速は、フェラーリの公式のページによると時速 324 キロメートルです。レースの車は、もっと力があります。その速さで何時間も走り続けるには、別の仕上げが要りました。
ルマンへの道は、いったん閉じます。開き直すのは、数年あと、ヨーロッパに新しい GT のレースができてからです。
2-2 イタリアの GT
| 車 | 出力 | 重さ | 走ったレース |
|---|---|---|---|
| F40 LM(アメリカ向け) | 720 馬力 | 1,050 kg | アメリカの選手権 |
| F40 LM(GTC 仕様) | 760 馬力 | ヨーロッパの GT | |
| F40 GT | 550 馬力 | 1,050 kg | イタリアの GT 選手権 |
| F40 GTE | 最大で 800 馬力 | 1,050 から 1,100 kg | BPR の GT シリーズ |
1990 年代に入ると、イタリアの国内のレースで、GT の部門への関心が高まりました。ミケロットを調べた記事によると、イタリアのレースを取りしきる団体が、スーパーカーの GT 選手権を定め、F40 はそれにぴったりの車だと考えられました。
この選手権の車は、外の姿は道の車とほとんど同じです。そのうえで、エンジンの力を少し上げ、車を軽くし、足まわりとブレーキを強くすることが許されました。
ミケロットがつくったのが、F40 GT です。出力は 550 馬力、重さは 1,050 キログラム。記事によると、1993 年に四台、そのあとさらに二台がつくられました。フェラーリのクラブの紹介文のほうは、七台と書いています。
成績は立派です。ジョリー・クラブのチームの最初の一台、車台番号 80742 は、1993 年と 1994 年の二年で 12 回勝ちました。同じチームのもう一台、車台番号 94362 も、1994 年に二回勝っています。
この仕様は、道を走る車にも影響を残しました。ジャン・サージュが 1994 年に自分の F40 に手を入れたとき、手本にしたのがこの仕様です。出力は 527 馬力、重さは 136 キログラム減りました。翌 1995 年 3 月、この車は BPR のシリーズの予選を走り、38 台のうち 21 番目の時間を出しています。
2-3 GTE
F40 のレースの車の最後の形が、F40 GTE です。ミケロットを調べた記事は、LM をさらに進めた車だと書いています。
いちばんの違いは、エンジンの大きさです。多くの GTE は、排気量を 3.6 リットルに広げたエンジンを積みました。変速機も、順に送る形のレース用に替わっています。出力は、いちばん強いもので 800 馬力に届きました。重さは 1,050 から 1,100 キログラムです。
ただし、記事は注意を添えています。この一群の車は、一台ごとに仕様がかなり違い、あとからの改良も続いたので、これが標準だと言える仕様は決めにくい、と。車によっては、2,936 立方センチメートルや 3,495 立方センチメートルの、力の弱いエンジンを積んでいた時期もありました。
台数も、資料で違います。記事は、六台がつくられたと書いています。フェラーリのクラブの紹介文は、七台です。RM Sotheby's の 2017 年の記録は数を書かず、1994 年から 1996 年のあいだに、GTE と LM の仕様で少ない数がつくられた、とだけ書いています。
走った場所は、BPR という名前の GT のシリーズです。相手は、マクラーレン F1 GTR でした。
CHAPTER 3ルマンの F40
3-1 車台番号 74045
| レース | 結果 |
|---|---|
| ポール・リカール、モンツァ、ハラマ、ニュルブルクリンク | 四戦ともリタイア |
| ルマン 24 時間 | 予選 7 位。総合 12 位、GT1 の 6 位 |
| アンデルストープ 4 時間 | 予選一位。優勝 |
| 鈴鹿 1000 km | リタイア(電気の故障) |
| 珠海 3 時間 | リタイア(変速機) |
| シルバーストン 4 時間 | 2 位 |
ルマンを走った F40 の中で、いちばん名高い一台が、車台番号 74045 です。RM Sotheby's の記録は、この車を、いちばん大事な F40 LM だと書いています。
生まれは、工場の試作の車でした。1992 年のはじめに、スイスの元レーサーに売られます。その人がミケロットに送り、LM の仕様に改めさせました。
1995 年、車はフランスのチームに渡り、BPR のシリーズを走ります。乗ったのは、ミシェル・フェルテとオリヴィエ・テヴナンのフランス人の組でした。
出だしは、うまくいきませんでした。最初の四戦は、すべてリタイアです。流れが変わったのは、4 月のルマンの予備の予選でした。このとき車は、フランスのレースの色である青に塗り替えられています。結果は総合の五番目で、GT1 の中ではいちばん速い時間でした。
赤い車しかつくられなかった F40 が、ルマンでは青い車として走ったことになります。記録は、国への思いをこめた塗り替えだったと書いています。
3-2 1995 年のルマン
六週間ほどあと、ルマン 24 時間の本番です。チームは三人目のドライバーを加えました。
予選は、総合の 7 位。GT1 の中では 2 位でした。RM Sotheby's の記録は、それまで速さで先を行っていた七台のマクラーレン F1 GTR の、全部の前に出たと書いています。
レースは、雨になりました。記録によると、ぬれた路面はマクラーレンのほうに向いていました。それでも 74045 は走り切り、総合の 12 位、GT1 の 6 位に入ります。
これが、F40 がルマンで残したいちばんよい成績です。RM Sotheby's の記録も、フェラーリのクラブの紹介文も、そう書いています。クラブの紹介文は、勝った車とは 28 周の差があったことと、F40 のレースの車はもともと短いレースのために設計されていたことを添えています。
二週間あと、流れはもっとよくなりました。スウェーデンのアンデルストープ 4 時間で、フェルテとテヴナンは予選で一位をとり、二台のマクラーレンを抑えて、はっきりした差で勝っています。シルバーストンの 4 時間でも 2 位でした。
3-3 1996 年と、そのあと
- 1987F40 が発表される。レースの計画を求める声が出はじめる
- 1989F40 LM がアメリカの選手権を走りはじめる
- 1993F40 GT がイタリアの GT 選手権を走る
- 1995車台番号 74045 が、ルマン 24 時間で総合 12 位。F40 のいちばんよい成績
- 199674045 がもう一度ルマンに出て、リタイア。この年でレースを終える
- 201974045 が、パリの競売に出る
- 2025F40 LM の一台が、11,005,000 ドルで売れる
1996 年、74045 は GTE の仕様の後ろの翼を付けて、もう一年走りました。RM Sotheby's の記録によると、この年のいちばんよい成績は、ノガロでの 3 位です。
ルマンにも、もう一度出ています。けれども、相手が変わっていました。新しい形の車が増え、ポルシェの 911 GT1 も出てきます。予選は 25 位。レースは、途中でリタイアでした。
74045 のレースは、1996 年の終わりで終わりました。そのあと、車は何人かの収集家の手を渡っています。2019 年、パリの競売に出ました。Sotheby's の記事によると、昔レースを走った F40 LM が、その年に 4.8 百万ユーロで売れています。
いまの F40 LM は、F40 の中でいちばん値の高い車です。2025 年には、車台番号 95448 が 11,005,000 ドルで売れました。走る場所もあります。RM Sotheby's の記録は、フェラーリが古い GT のレースの車のために開いている催しを挙げています。
SKF の記事の中で、ミケロット本人が言っています。舗装の道のレースは、車の全部が試される場所だ、と。道を走るためにつくられた F40 を、レースで試し切ったのは、フェラーリの工場ではなく、パドヴァの工場でした。エンツォが最後に送り出した車は、ミケロットの手で、もう一つの生き方を持ちました。
SOURCES出典
- RM Sotheby's Monterey 2025, Lot 260「1993 Ferrari F40 LM by Michelotto」(車台番号 95448)
https://rmsothebys.com/auctions/mo25/lots/r0053-1993-ferrari-f40-lm-by-michelotto/(2026-10-02 確認) - RM Sotheby's Paris 2019, Lot 126「1987 Ferrari F40 LM」(車台番号 74045)
https://rmsothebys.com/auctions/pa19/lots/r0085-1987-ferrari-f40-lm/(2026-10-02 確認) - RM Sotheby's Woodcote Park 2026, Lot 136「1990 Ferrari F40 'Jean Sage' by Michelotto」(車台番号 84642)
https://rmsothebys.com/auctions/wp26/lots/r0041-1990-ferrari-f40-jean-sage-by-michelotto/(2026-10-02 確認) - RM Sotheby's London 2017, Lot 117「1988 Ferrari F40」(車台番号 80786)
https://rmsothebys.com/auctions/lf17/lots/r152-1988-ferrari-f40/(2026-10-02 確認) - Sotheby's「Everything You Need to Know about the Ferrari F40」
https://www.sothebys.com/en/articles/everything-you-need-to-know-about-the-ferrari-f40(2026-10-02 確認) - Scuderia Ferrari Club Riga「Giuliano Michelotto - the wizard of Ferrari rally cars」(David Buckden の調べを載せている)
https://sfcriga.com/giuliano-michelotto-the-wizard-of-ferrari-rally-cars(2026-10-02 確認) - SKF Evolution「The spirit of competition」(2015 年 4 月 1 日)
https://evolution.skf.com/us/the-spirit-of-competition/(2026-10-02 確認) - Ferrari 公式サイト「Ferrari F40 (1987)」
https://www.ferrari.com/en-EN/auto/f40(2026-10-02 確認)
この記事は、上の資料の原文を確かめたうえで書いています。年や台数などの数は、資料に書かれているものだけを使いました。資料どうしで書き方が違う所は、本文でそのように断っています。記事の中の社名と車名は、各社の商標です。