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NOTES 19

F40(下)。レースの F40。LM、GT、GTE

フランスの輸入元が言い出し、パドヴァのミケロットがつくった。アメリカ、イタリア、そしてルマン

F40 は、道を走るための車として売られました。けれども、あの姿を見てレースを考えない人はいません。レースの F40 をつくったのは、フェラーリの工場ではなく、パドヴァのミケロットです。言い出したのは、フランスの輸入元でした。三回目は、F40 LM、F40 GT、F40 GTE という三つのレースの車と、ルマン 24 時間での戦いを読みます。資料は、RM Sotheby's の出品の記録と、ミケロットの仕事を調べた記事です。台数は資料によって違うので、そのまま並べます。

CHAPTER 1F40 LM

1-1 言い出したのは、フランスの輸入元

F40 が発表されると、すぐに同じ問いが出ました。この車は、レースで走れるのではないか。RM Sotheby's の記録は、レース用の部品をたくさん使った車だったので、そういう見方がすぐに広まったと書いています。

動いたのは、フランスの輸入元シャルル・ポッツィの会社でした。記録によると、その会社の責任者ダニエル・マランが、レース用の F40 の開発を言い出し、仕事をジュリアーノ・ミケロットに任せています。

ミケロットの仕事を調べた記事は、フェラーリの中の様子も書いています。1987 年が終わる前から、レースの計画を始めるよう求める声が、フェラーリの経営の責任者に届いていた。けれども工場の中からは、だれも動かなかった。こんども、フェラーリを動かしたのはポッツィの会社だった、と。

フェラーリは、やがてこの計画を正式に認めます。ただし、記事によると条件が付きました。ポッツィとミケロットのあいだで契約を結ぶこと。はじめは二台だけにすること。その二台は、フェラーリの持ち物とすること。

名前は F40 LM。LM はルマンの頭文字です。RM Sotheby's の記録は、いつかルマンを走るつもりであることを表す名前だった、と書いています。

1-2 700 馬力を超えるエンジン

FIGUREF40 の出力の比べ(馬力。競売の記録とミケロットを調べた記事の数)
道の F40478
ジャン・サージュの車527
F40 GT(イタリアの GT)550
F40 LM(アメリカ向け)720
F40 LM(GTC 仕様)760
F40 GTE(いちばん強いもの)800

F40 LM のいちばんの違いは、エンジンです。RM Sotheby's の記録によると、アメリカとヨーロッパのレースの決まりでは、車を軽くできる幅が限られていました。そこで、力を上げるほうに手を入れています。

吸い込む空気を冷やす装置を大きくし、弁を動かす軸を替え、燃料の調整を直し、ターボの圧を上げました。出力は 720 馬力。道の車より 242 馬力多い数です。

車のほうも、レースに合わせています。大きなブレーキ、幅の広い車輪と柔らかいタイヤ、低くした車高。車体には大きな前の翼、大きな穴のあいた前のふた、床の下の空気の通り道、角度を変えられる巨大な後ろの翼が付きました。重さは、別の記録によると 1,050 キログラムです。

これは、アメリカのレース向けの仕様です。同じ時期に、ヨーロッパのレース向けの「GTC」という仕様もつくられました。空気を絞る部品を大きくして、出力は 760 馬力。記録は、あとから出た F40 GT や GTE のほうが進んでいる所もあるが、F40 の中でいちばん力が強いのは、この GTC 仕様の LM だと書いています。

車台番号 95448 は、その GTC 仕様の一台です。1992 年 12 月に工場で完成し、樹脂の引き戸の窓が付いていました。2025 年の競売で、11,005,000 ドルで売れています。

1-3 何台つくられたか

TABLEF40 LM の台数(資料によって違う)
資料書かれている台数
RM Sotheby's の 2025 年の記録19 台
Sotheby's の記事19 台
RM Sotheby's の 2026 年の記録18 台
ミケロットを調べた記事はじめの二台のあとに 17 台。ほかに、試作の車を改めたものが一台

F40 LM の台数は、資料によって少し違います。いちばん多く書かれているのは 19 台です。RM Sotheby's の 2025 年の記録は、車台番号 95448 を「19 台のうちの 14 台目」と書いています。

ミケロットを調べた記事は、内わけを書いています。はじめの二台は、車台番号 79890 と 79891 です。そのあと、17 台がつくられました。

それとは別に、もう一台あります。車台番号 74045 です。もとは工場の試作の車で、あとから LM の仕様に改められました。この一台を数に入れるかどうかで、台数が変わってきます。

はじめの二台は、アメリカを走りました。RM Sotheby's の記録によると、フランスのフェラーリのチームの二台に乗ったのは、ジャン=ピエール・ジャブイーユ、ジャン・アレジ、ジャン=ルイ・シュレッサーです。五つのレースに出て、表彰台に五回上がりました。

チームを率いたのは、ジャン・サージュです。F1 のルノーのチームを率いた人で、1989 年にフランスのフェラーリに移り、二年のあいだ、アメリカでの F40 の計画を受け持ちました。

CHAPTER 2F40 GT と F40 GTE

2-1 ルマンを走れなかった理由

LM という名前なのに、はじめの F40 LM はルマンを走っていません。ミケロットを調べた記事が、理由を書いています。

もともとの考えは、世界のスポーツカーの選手権に出ることでした。けれどもそれができないと分かり、アメリカの選手権に切り替えます。その時点で、ルマンを走らない車になりました。

もう一つ、車の側の理由もありました。記事によると、とても速い速さで試したとき、車の落ち着きに問題が出ています。車高を下げ、ばねと減衰の部品を替え、前に翼を足すなど、いろいろ試しました。けれども、ルマンの長い直線を安心して走れるだけの改善は得られなかった、と記事は書いています。

道の F40 の最高速は、フェラーリの公式のページによると時速 324 キロメートルです。レースの車は、もっと力があります。その速さで何時間も走り続けるには、別の仕上げが要りました。

ルマンへの道は、いったん閉じます。開き直すのは、数年あと、ヨーロッパに新しい GT のレースができてからです。

2-2 イタリアの GT

TABLEレースのための F40(資料の数)
車出力重さ走ったレース
F40 LM(アメリカ向け)720 馬力1,050 kgアメリカの選手権
F40 LM(GTC 仕様)760 馬力ヨーロッパの GT
F40 GT550 馬力1,050 kgイタリアの GT 選手権
F40 GTE最大で 800 馬力1,050 から 1,100 kgBPR の GT シリーズ

1990 年代に入ると、イタリアの国内のレースで、GT の部門への関心が高まりました。ミケロットを調べた記事によると、イタリアのレースを取りしきる団体が、スーパーカーの GT 選手権を定め、F40 はそれにぴったりの車だと考えられました。

この選手権の車は、外の姿は道の車とほとんど同じです。そのうえで、エンジンの力を少し上げ、車を軽くし、足まわりとブレーキを強くすることが許されました。

ミケロットがつくったのが、F40 GT です。出力は 550 馬力、重さは 1,050 キログラム。記事によると、1993 年に四台、そのあとさらに二台がつくられました。フェラーリのクラブの紹介文のほうは、七台と書いています。

成績は立派です。ジョリー・クラブのチームの最初の一台、車台番号 80742 は、1993 年と 1994 年の二年で 12 回勝ちました。同じチームのもう一台、車台番号 94362 も、1994 年に二回勝っています。

この仕様は、道を走る車にも影響を残しました。ジャン・サージュが 1994 年に自分の F40 に手を入れたとき、手本にしたのがこの仕様です。出力は 527 馬力、重さは 136 キログラム減りました。翌 1995 年 3 月、この車は BPR のシリーズの予選を走り、38 台のうち 21 番目の時間を出しています。

2-3 GTE

F40 のレースの車の最後の形が、F40 GTE です。ミケロットを調べた記事は、LM をさらに進めた車だと書いています。

いちばんの違いは、エンジンの大きさです。多くの GTE は、排気量を 3.6 リットルに広げたエンジンを積みました。変速機も、順に送る形のレース用に替わっています。出力は、いちばん強いもので 800 馬力に届きました。重さは 1,050 から 1,100 キログラムです。

ただし、記事は注意を添えています。この一群の車は、一台ごとに仕様がかなり違い、あとからの改良も続いたので、これが標準だと言える仕様は決めにくい、と。車によっては、2,936 立方センチメートルや 3,495 立方センチメートルの、力の弱いエンジンを積んでいた時期もありました。

台数も、資料で違います。記事は、六台がつくられたと書いています。フェラーリのクラブの紹介文は、七台です。RM Sotheby's の 2017 年の記録は数を書かず、1994 年から 1996 年のあいだに、GTE と LM の仕様で少ない数がつくられた、とだけ書いています。

走った場所は、BPR という名前の GT のシリーズです。相手は、マクラーレン F1 GTR でした。

CHAPTER 3ルマンの F40

3-1 車台番号 74045

TABLE車台番号 74045 の 1995 年(RM Sotheby's の記録から)
レース結果
ポール・リカール、モンツァ、ハラマ、ニュルブルクリンク四戦ともリタイア
ルマン 24 時間予選 7 位。総合 12 位、GT1 の 6 位
アンデルストープ 4 時間予選一位。優勝
鈴鹿 1000 kmリタイア(電気の故障)
珠海 3 時間リタイア(変速機)
シルバーストン 4 時間2 位

ルマンを走った F40 の中で、いちばん名高い一台が、車台番号 74045 です。RM Sotheby's の記録は、この車を、いちばん大事な F40 LM だと書いています。

生まれは、工場の試作の車でした。1992 年のはじめに、スイスの元レーサーに売られます。その人がミケロットに送り、LM の仕様に改めさせました。

1995 年、車はフランスのチームに渡り、BPR のシリーズを走ります。乗ったのは、ミシェル・フェルテとオリヴィエ・テヴナンのフランス人の組でした。

出だしは、うまくいきませんでした。最初の四戦は、すべてリタイアです。流れが変わったのは、4 月のルマンの予備の予選でした。このとき車は、フランスのレースの色である青に塗り替えられています。結果は総合の五番目で、GT1 の中ではいちばん速い時間でした。

赤い車しかつくられなかった F40 が、ルマンでは青い車として走ったことになります。記録は、国への思いをこめた塗り替えだったと書いています。

3-2 1995 年のルマン

六週間ほどあと、ルマン 24 時間の本番です。チームは三人目のドライバーを加えました。

予選は、総合の 7 位。GT1 の中では 2 位でした。RM Sotheby's の記録は、それまで速さで先を行っていた七台のマクラーレン F1 GTR の、全部の前に出たと書いています。

レースは、雨になりました。記録によると、ぬれた路面はマクラーレンのほうに向いていました。それでも 74045 は走り切り、総合の 12 位、GT1 の 6 位に入ります。

これが、F40 がルマンで残したいちばんよい成績です。RM Sotheby's の記録も、フェラーリのクラブの紹介文も、そう書いています。クラブの紹介文は、勝った車とは 28 周の差があったことと、F40 のレースの車はもともと短いレースのために設計されていたことを添えています。

二週間あと、流れはもっとよくなりました。スウェーデンのアンデルストープ 4 時間で、フェルテとテヴナンは予選で一位をとり、二台のマクラーレンを抑えて、はっきりした差で勝っています。シルバーストンの 4 時間でも 2 位でした。

3-3 1996 年と、そのあと

TIMELINEレースの F40
  1. 1987F40 が発表される。レースの計画を求める声が出はじめる
  2. 1989F40 LM がアメリカの選手権を走りはじめる
  3. 1993F40 GT がイタリアの GT 選手権を走る
  4. 1995車台番号 74045 が、ルマン 24 時間で総合 12 位。F40 のいちばんよい成績
  5. 199674045 がもう一度ルマンに出て、リタイア。この年でレースを終える
  6. 201974045 が、パリの競売に出る
  7. 2025F40 LM の一台が、11,005,000 ドルで売れる

1996 年、74045 は GTE の仕様の後ろの翼を付けて、もう一年走りました。RM Sotheby's の記録によると、この年のいちばんよい成績は、ノガロでの 3 位です。

ルマンにも、もう一度出ています。けれども、相手が変わっていました。新しい形の車が増え、ポルシェの 911 GT1 も出てきます。予選は 25 位。レースは、途中でリタイアでした。

74045 のレースは、1996 年の終わりで終わりました。そのあと、車は何人かの収集家の手を渡っています。2019 年、パリの競売に出ました。Sotheby's の記事によると、昔レースを走った F40 LM が、その年に 4.8 百万ユーロで売れています。

いまの F40 LM は、F40 の中でいちばん値の高い車です。2025 年には、車台番号 95448 が 11,005,000 ドルで売れました。走る場所もあります。RM Sotheby's の記録は、フェラーリが古い GT のレースの車のために開いている催しを挙げています。

SKF の記事の中で、ミケロット本人が言っています。舗装の道のレースは、車の全部が試される場所だ、と。道を走るためにつくられた F40 を、レースで試し切ったのは、フェラーリの工場ではなく、パドヴァの工場でした。エンツォが最後に送り出した車は、ミケロットの手で、もう一つの生き方を持ちました。

SOURCES出典

  1. RM Sotheby's Monterey 2025, Lot 260「1993 Ferrari F40 LM by Michelotto」(車台番号 95448)
    https://rmsothebys.com/auctions/mo25/lots/r0053-1993-ferrari-f40-lm-by-michelotto/(2026-10-02 確認)
  2. RM Sotheby's Paris 2019, Lot 126「1987 Ferrari F40 LM」(車台番号 74045)
    https://rmsothebys.com/auctions/pa19/lots/r0085-1987-ferrari-f40-lm/(2026-10-02 確認)
  3. RM Sotheby's Woodcote Park 2026, Lot 136「1990 Ferrari F40 'Jean Sage' by Michelotto」(車台番号 84642)
    https://rmsothebys.com/auctions/wp26/lots/r0041-1990-ferrari-f40-jean-sage-by-michelotto/(2026-10-02 確認)
  4. RM Sotheby's London 2017, Lot 117「1988 Ferrari F40」(車台番号 80786)
    https://rmsothebys.com/auctions/lf17/lots/r152-1988-ferrari-f40/(2026-10-02 確認)
  5. Sotheby's「Everything You Need to Know about the Ferrari F40」
    https://www.sothebys.com/en/articles/everything-you-need-to-know-about-the-ferrari-f40(2026-10-02 確認)
  6. Scuderia Ferrari Club Riga「Giuliano Michelotto - the wizard of Ferrari rally cars」(David Buckden の調べを載せている)
    https://sfcriga.com/giuliano-michelotto-the-wizard-of-ferrari-rally-cars(2026-10-02 確認)
  7. SKF Evolution「The spirit of competition」(2015 年 4 月 1 日)
    https://evolution.skf.com/us/the-spirit-of-competition/(2026-10-02 確認)
  8. Ferrari 公式サイト「Ferrari F40 (1987)」
    https://www.ferrari.com/en-EN/auto/f40(2026-10-02 確認)

この記事は、上の資料の原文を確かめたうえで書いています。年や台数などの数は、資料に書かれているものだけを使いました。資料どうしで書き方が違う所は、本文でそのように断っています。記事の中の社名と車名は、各社の商標です。

CONTRIBUTOR山岸 勇輝Yuuki YAMAGISHI

独立研究者(Independent Researcher)。公式の資料や統計など、一次の資料にあたって書くことを続けている。

yamagishiyuuki.com