1311 台か 1315 台か。引き戸の窓、触媒なし、アメリカ仕様の 213 台、そして右ハンドル
F40 は、どれも同じ車に見えます。色は赤、内装も赤い布。けれども細かく見ると、つくられた時期と、送られた国によって、少しずつ違います。二回目は、その違いを読みます。手がかりは、フェラーリの公式の資料と、競売の会社が一台ごとに書いた出品の記録です。出品の記録には、車台番号、つくられた月、最初の持ち主までが書かれています。
CHAPTER 1何台つくられたのか
1-1 予定は 400 台だった
F40 は、はじめから 1300 台もつくるつもりの車ではありませんでした。フェラーリの公式の記事は、予定は 400 台だったと書いています。RM Sotheby's の記録も、同じ数を挙げています。
予定が変わったのは、注文が多すぎたからです。公式の年表によると、1987 年 7 月 21 日の発表の場で、900 件の注文が集まりました。予定の二倍を超えています。
公式のページは、そのときの様子をこう書いています。生産が始まる前から、何台つくられるのかも知らないまま、客たちは小切手を手に列をつくった、と。
フェラーリは、前の車で一つ学んでいました。GTO です。GTO は台数が少なく、手に入れたい人たちの騒ぎが大きくなりました。公式の記事は、F40 ではその騒ぎを避けたかったのに、GTO の四倍の数をつくると約束しても、騒ぎはかえって大きくなった、と書いています。
値段の付け方も変わりました。Sotheby's の記事によると、アメリカでの F40 の定価は 399,150 ドルで、GTO のおよそ五倍でした。GTO は新車のとき安すぎて、中古の値がすぐに何倍にもなったからです。記事は、フェラーリは同じまちがいを二度はしなかった、と書いています。
1-2 1311 台か、1315 台か
全部で何台つくられたのか。フェラーリの公式のページは、はっきり書いています。生産が終わったのは 1992 年で、マラネッロの工場を出た F40 は 1311 台だった、と。
Sotheby's の記事も、RM Sotheby's の 2017 年の記録も、同じ 1,311 台です。
ところが、RM Sotheby's の新しい記録は、違う数を書いています。2023 年と 2025 年の記録は 1,315 台。2026 年の記録は、マラネッロの記録によると 1,315 台まで伸びた、と書いています。
差は四台です。なぜ違うのか、どの資料も説明していません。試作の車を数に入れるかどうかの違いかもしれませんが、それは資料に書かれていないことです。このページでは、フェラーリの公式のページが 1311 台、競売の会社の新しい記録が 1,315 台と書いている、という事実だけを並べておきます。
どちらの数にしても、F40 は、台数を限ったフェラーリの中ではとても多い車です。前の GTO は 272 台、次の F50 は 349 台でした。Sotheby's の記事は、F40 を、同じ仲間の中でほとんど「ありふれた」車だとまで書いています。
1-3 車台番号で読む
| 車台番号 | 仕様 | 時期 |
|---|---|---|
| 74045 | 工場の試作の車。のちに LM に改められた | 1987 年の車として出品 |
| 80786 | ヨーロッパ仕様。触媒なし。引き戸の窓 | 1989 年 9 月 16 日に納車 |
| 83620 | ヨーロッパ仕様。触媒なし。巻き上げの窓と冷房 | 1989 年 11 月から 12 月に製作 |
| 84642 | ヨーロッパ仕様。触媒なし | 1990 年 4 月に保証が始まる |
| 89382 | アメリカ仕様。触媒つき | 1991 年 6 月に完成 |
| 94277 | ヨーロッパ仕様。触媒つき | 1992 年 7 月に完成 |
| 95448 | F40 LM の 14 台目 | 1992 年 12 月に完成 |
競売の記録を車台番号の順に並べると、つくられた時期の流れが見えてきます。番号が大きいほど、あとにつくられた車です。
いちばん若い番号は 74045 です。RM Sotheby's の記録によると、はじめは工場が量産の前の試作の車として使い、1992 年のはじめに売られました。
Sotheby's の記事は、買うときの目安を一つ挙げています。早い時期につくられた車、とくに車台番号が 70000 番台の車は、より純粋な姿なので値が高くなりやすい、というものです。
番号の前に付く記号も、仕様によって違います。上の表のヨーロッパ仕様の車は、どれも ZFFGJ34B で始まっています。アメリカ仕様の 89382 は ZFFMN34A、LM の 95448 は ZFFGX34X です。競売の記録に書かれた番号を並べただけですが、仕様ごとに記号が分かれていることが分かります。
車台番号 94277 の記録には、日本の名前も出てきます。1992 年 7 月に完成し、ドイツの持ち主を経て、1997 年 4 月までに日本へ送られました。日本では、八年のあいだに 2,009 キロメートルしか走っていません。
CHAPTER 2時期による違い
2-1 引き戸の窓
| 段階 | 窓 | 触媒 | 車高の調整 |
|---|---|---|---|
| はじめのおよそ 50 台 | 引き戸の窓 | なし | なし |
| そのあと、最初の二年ほど | 巻き上げの窓 | なし | なし |
| 1990 年ごろから | 巻き上げの窓 | あり | ヨーロッパ仕様はあり、アメリカ仕様はなし |
F40 は、愛好家のあいだで、前期、中期、後期と分けて呼ばれることがあります。資料はその呼び名を使っていませんが、書かれている違いを順に並べると、上の表の三つの段階になります。
いちばん分かりやすいのは、窓です。Sotheby's の記事によると、はじめのおよそ 50 台には、レースの車のような引き戸の窓が付いていました。樹脂の板でできた、横に引いて開ける窓です。そのあとの車は、ふつうの巻き上げの窓になりました。
RM Sotheby's の 2017 年の記録は、少し違う書き方をしています。F40 は、開かない窓か、引き戸の窓かを選べる形で納められた、というものです。その記録の車、車台番号 80786 は、引き戸の窓を選んでいました。
同じ 1989 年の車でも、車台番号 83620 は巻き上げの窓です。記録は、もっと簡素な引き戸の窓ではなく、手で巻き上げる窓と冷房が付いている、と書いています。
引き戸の窓は、あとから付けることもありました。車台番号 84642 は、1994 年にミケロットの工場で手を入れたとき、軽い前後の覆いと一緒に、引き戸の窓に替えています。それで 30 キログラム軽くなったと、記録に書かれています。
2-2 触媒と、車高の調整
二つ目の違いは、排気をきれいにする触媒と、車の高さを変える仕組みです。
Sotheby's の記事によると、生産の最初の二年の車には、触媒も、車高を調整する足まわりもありませんでした。競売の世界では、この仕様を「ノン・キャット、ノン・アジャスト」と呼びます。触媒なし、調整なし、という意味です。
RM Sotheby's の記録は、1990 年に、触媒の付いた、より手の入った仕様の納車が始まったと書いています。ここが、時期の大きな境目です。
車高を調整する足まわりについて、Sotheby's の記事は、前を持ち上げて、あごを小石にこすらないようにするために足された、と説明しています。フェラーリの公式の年表は、速さに合わせて三段の高さに変えられる足まわり、と書いています。
いま値が高いのは、古いほうです。Sotheby's の記事は、触媒も調整もない車が、全体として値を上げはじめていると書いています。軽く、仕掛けが少なく、もとの姿に近いからです。RM Sotheby's の記録は、車高を調整する足まわりを「よく批判される」ものと呼んでいます。
2-3 アメリカ仕様の 213 台
| 項目 | ヨーロッパ仕様 | アメリカ仕様 |
|---|---|---|
| 台数 | アメリカ仕様のほかの車 | 213 台 |
| 重さ | 2,765 ポンド | 3,018 ポンド |
| 見た目 | そのまま | 前後に小さな黒い緩衝の部品。前の横に標識の灯り |
| 触媒 | 1990 年から付きはじめる | 全車 |
| 車高の調整 | あとの時期の車にあり | なし |
| 計器 | キロメートル | マイル |
三つ目の違いは、送られた国です。F40 は、はじめはヨーロッパでしか買えませんでした。RM Sotheby's の記録によると、アメリカへの納車が始まったのは 1990 年です。
アメリカ仕様は、全部で 213 台です。Sotheby's の記事によると、主に 1990 年と 1991 年の型として入りました。1992 年にアメリカへ納められたのは、60 台だけです。
見分けるところは、三つあります。前と後ろに付いた小さな黒い緩衝の部品、前の横に付いた標識の灯り、そして触媒です。冷房は、はじめから付いています。
重さも違います。Sotheby's の記事は、ヨーロッパ仕様が 2,765 ポンド、アメリカ仕様が 3,018 ポンドと書いています。アメリカ仕様のほうが重い車です。
足まわりは、逆に簡素でした。RM Sotheby's の記録によると、アメリカ仕様には、車高を調整する足まわりが付いていません。記録は、そのために多くの愛好家がアメリカ仕様を好む、と書いています。車台番号 89382 は、その一台です。計器はマイルで、窓は巻き上げ、1991 年 6 月に工場で完成し、ニューヨークの最初の持ち主に納められました。
CHAPTER 3色と、ハンドルの位置と、特別な一台
3-1 工場を出た色は、赤だけ
F40 の色について、Sotheby's の記事は一行で書いています。車体はケブラーと炭素繊維でできていて、その一台一台すべてが、フェラーリのロッソ・コルサに塗られている、と。
同じ記事の中で、RM Sotheby's の担当者も言っています。F40 は、あとの時代のスーパーカーと違って、外の色にも内装の色にも種類がない。だから買うときに見るのは、状態と、来歴と、走った距離と、納められたときの仕様だ、と。
内装も決まっています。競売の記録は、どの車についても同じ言葉を使っています。ロッソ・コルサの塗装に、ストッファ・ヴィゴーニャの内装。赤い布を張った座席です。
つまり、資料に従うかぎり、工場を出た F40 は赤だけです。黄色や黒の F40 を見かけることがあれば、それは工場を出たあとで塗り替えられた色、ということになります。
内装の色が違う一台だけは、公式の年表に出てきます。ジャンニ・アニエッリのためにつくられた「F40 ヴァレオ」です。室内の布は、赤ではなく黒でした。レースの車は別で、車台番号 74045 は、1995 年にフランスのレースの青に塗られています。
3-2 右ハンドルはあったのか
F40 は、左ハンドルの車です。右ハンドルの F40 について書いている資料は、今回読んだ中では一つだけでした。オーストラリアの競売の会社の、出品の記録です。
その記録は、こう書いています。右ハンドルの F40 は、世界に数えるほどしかない。ほかに知られている右ハンドルの車は、すべて、新車のときにブルネイの国王のために改造されたものである、と。
出品された車そのものは、国王の車ではありません。1990 年 5 月 11 日にスイスで納められた、触媒なしの車です。2005 年にオーストラリアの持ち主が買い、技術者である本人が、右ハンドルに改造しました。記録によると、骨組みには手を入れていないので、左ハンドルに戻すことができます。
ここから分かるのは、二つです。工場が右ハンドルの F40 をつくったとは、この記録は書いていません。右ハンドルの車は、どれも改造でできたものとして書かれています。
ただし、この記録は売り手が書いた説明です。競売の会社は、内容は売り手か持ち主が出したもので、買う人は自分で確かめてほしい、と断っています。ブルネイの車が何台あったか、だれが改造したかは、この記録には書かれていません。このページでも、そこから先は書きません。
3-3 特別な一台と、いまの値段
| 競売 | 車 | 結果 |
|---|---|---|
| London 2017 | 車台番号 80786。触媒なし、引き戸の窓 | 775,000 から 975,000 ポンドの見込みで、売れず |
| Arizona 2023 | 車台番号 94277。ヨーロッパ仕様、触媒つき | 2,150,000 ドル |
| Miami 2025 | 車台番号 89382。アメリカ仕様 | 3,580,000 ドル |
| Monterey 2025 | 車台番号 95448。F40 LM | 11,005,000 ドル |
| Monaco 2026 | 車台番号 83620。触媒なし、走行 1,799 km | 4,336,250 ユーロ |
| Woodcote Park 2026 | 車台番号 84642。ジャン・サージュの車 | 3,605,000 ポンド |
同じ F40 でも、一台ごとの来歴で値が変わります。上の表は、今回読んだ出品の記録の結果です。
車台番号 83620 は、二人の持ち主しかいない車です。三十年近く、動かさずにしまわれていました。記録によると、ミケロットの工場で二年をかけて整備し直し、かかった費用は 165,000 ユーロを超えています。もとの塗装も、もとのタイヤも残されました。
車台番号 84642 は、フランスのレースの世界の人、ジャン・サージュの車です。サージュは、アメリカでの F40 のレースの計画を率いた人でした。1994 年、ミケロットに頼んで自分の車に手を入れています。出力は 527 馬力に上がり、重さは 136 キログラム減りました。道を走れる車のままです。
この車には、Tubi の名前も出てきます。記録によると、いま付いている排気の仕組みは、Tubi のものです。
Sotheby's の記事は、買う人への助言をこうまとめています。アメリカ仕様は、アメリカの買い手にとっては値が高い。早い時期の車は、より純粋なので値が高い。そしていちばん高いのは、レースのための F40 LM である、と。その LM については、次の回で読みます。
SOURCES出典
- Ferrari 公式サイト「Ferrari F40 (1987)」
https://www.ferrari.com/en-EN/auto/f40(2026-10-02 確認) - Ferrari 公式サイト History「1987 Enzo's Dream」
https://www.ferrari.com/en-EN/history/moments/1987/enzos-dream(2026-10-02 確認) - Ferrari 公式サイト Magazine「Automotive Nirvana」
https://www.ferrari.com/en-US/magazine/articles/lasting-legacy-the-ferrari-f40(2026-10-02 確認) - Ferrari 公式サイト Magazine「The F40 at 30」
https://www.ferrari.com/en-EN/magazine/articles/the-ferrari-f40-revisited(2026-10-02 確認) - Sotheby's「Everything You Need to Know about the Ferrari F40」
https://www.sothebys.com/en/articles/everything-you-need-to-know-about-the-ferrari-f40(2026-10-02 確認) - RM Sotheby's London 2017, Lot 117「1988 Ferrari F40」(車台番号 80786)
https://rmsothebys.com/auctions/lf17/lots/r152-1988-ferrari-f40/(2026-10-02 確認) - RM Sotheby's Monaco 2026, Lot 147「1989 Ferrari F40」(車台番号 83620)
https://rmsothebys.com/auctions/mc26/lots/r0056-1989-ferrari-f40/(2026-10-02 確認) - RM Sotheby's Woodcote Park 2026, Lot 136「1990 Ferrari F40 'Jean Sage' by Michelotto」(車台番号 84642)
https://rmsothebys.com/auctions/wp26/lots/r0041-1990-ferrari-f40-jean-sage-by-michelotto/(2026-10-02 確認) - RM Sotheby's Miami 2025, Lot 258「1991 Ferrari F40」(車台番号 89382)
https://rmsothebys.com/auctions/mi25/lots/r0050-1991-ferrari-f40/(2026-10-02 確認) - RM Sotheby's Arizona 2023, Lot 158「1992 Ferrari F40」(車台番号 94277)
https://rmsothebys.com/auctions/az23/lots/r0043-1992-ferrari-f40/(2026-10-02 確認) - RM Sotheby's Paris 2019, Lot 126「1987 Ferrari F40 LM」(車台番号 74045)
https://rmsothebys.com/auctions/pa19/lots/r0085-1987-ferrari-f40-lm/(2026-10-02 確認) - RM Sotheby's Monterey 2025, Lot 260「1993 Ferrari F40 LM by Michelotto」(車台番号 95448)
https://rmsothebys.com/auctions/mo25/lots/r0053-1993-ferrari-f40-lm-by-michelotto/(2026-10-02 確認) - RR Auctions, Lot 17「1990 Ferrari F40」
https://rrauctions.com.au/lot/17(2026-10-02 確認)
この記事は、上の資料の原文を確かめたうえで書いています。年や台数などの数は、資料に書かれているものだけを使いました。資料どうしで書き方が違う所は、本文でそのように断っています。記事の中の社名と車名は、各社の商標です。