生まれた町、つくる町、試す町。そして海辺の町と都
フェラーリの車には、町の名前が付いたものがあります。360 モデナ、550 マラネッロ、599 GTB フィオラーノ、ポルトフィーノ、ローマ。名前になった町は、会社の歴史の中でそれぞれ違う役目を持っています。公式の資料から、町ごとに順に見ていきます。
CHAPTER 1モデナ。生まれた町
1-1 1898 年の家
エンツォ・フェラーリは 1898 年に、モデナで生まれました。生まれた家はいまも残っていて、エンツォ・フェラーリ博物館(Museo Enzo Ferrari、略して MEF)の一部になっています。
博物館の案内によると、生まれた家の部屋のいくつかは、見学できるようになっています。そこは、父のアルフレードが 20 世紀のはじめに仕事場を持っていた場所でもありました。いまはその場所で、フェラーリのエンジンの展示を見ることができます。
博物館には、大きな展示館もあります。設計したのは、ロンドンの設計事務所フューチャー・システムズの建築家ヤン・カプリツキーで、この人の最後の大きな仕事になりました。柱のない 5,000 平方メートルの展示の場所を、一枚の屋根が覆っています。
展示館の中では、車を見るだけでなく、エンツォの九十年を映像でたどることができます。子どものころ、レースとの出会い、ドライバーの時代、スクーデリアを率いた時代、そして車をつくる人になってから。案内はそう説明しています。
フェラーリの話は、たいていマラネッロから始まります。けれども、人としてのエンツォの出発点は、モデナのこの家です。
1-2 スクーデリアはモデナで始まった
レースのチーム、スクーデリア・フェラーリが生まれたのもモデナです。公式の記事は、1929 年 11 月 16 日にモデナで設立されたと書いています。
はじめのうち、チームが走らせたのは自分の車ではなく、アルファロメオの車でした。チームにとって二度目のレースだった 1930 年 6 月のトリエステ・オピチーナで、タツィオ・ヌヴォラーリが勝っています。
年次報告書は、その前後をこう書いています。エンツォは 1924 年からアルファロメオのドライバーだった。1929 年にモデナで自分のチームをつくった。1939 年に自分の会社を立ち上げ、はじめはアウト・アヴィオ・コストルツィオーニという名前だった。
そして 1943 年の終わりに、本拠をモデナからマラネッロへ移しました。チームの設立から数えて、十四年ほどモデナにいたことになります。
- 1898エンツォ・フェラーリがモデナで生まれる
- 1929スクーデリア・フェラーリをモデナで設立する
- 1939自分の会社アウト・アヴィオ・コストルツィオーニを立ち上げる
- 1943年の終わりに、本拠をマラネッロへ移す
- 1947最初の車 125 が、マラネッロの近くの道を走る
- 1972フィオラーノの試験コースが開く
いまも、会社とモデナの縁は切れていません。車をつくる会社であるフェラーリ S.p.A. の登記上の住所は、モデナの Via Emilia Est 1163 です。公式サイトのどのページにも、いちばん下に小さく書かれています。
1-3 360 モデナ
町の名前を付けた車、360 モデナは、1999 年のジュネーブのショーで発表されました。五年のあいだつくられた F355 の後を継ぐ車です。
公式のページは、この車を、すべてをアルミニウムでつくった最初の量産のフェラーリだと書いています。骨組みも、ボディも、サスペンションの腕も、アルミニウムです。骨組みはアルコア社と一緒に開発されました。
効き目は数字に出ています。F355 と比べて、車は 10 パーセント大きくなったのに、ねじれにくさは 40 パーセント上がり、重さは 28 パーセント軽くなりました。
見た目も変わりました。フェラーリの顔だった真ん中の格子の空気取り入れ口がなくなり、左右に分かれた二つの口になっています。空気を車の下へ流して、速く走るほど車を路面に押しつけるためです。
| 項目 | 内容 |
|---|---|
| 発表 | 1999 年、ジュネーブ |
| エンジン | V8、3586 cc |
| 重さ | 1290 kg(乾いた状態) |
| 最高速 | 295 km/h を超える |
| 0 から 100 km/h まで | 4.5 秒 |
なぜモデナという名前にしたのか、その理由は、今回読んだ公式のページには書かれていません。分かっているのは、いまのフェラーリの車づくりが、モデナの工場でアルミニウムのボディを組むところから始まる、ということです。年次報告書は、その工場をカロッツェリア・スカリエッティと呼んでいます。
CHAPTER 2マラネッロとフィオラーノ。つくる町と、試す町
2-1 1943 年の引っ越し
1943 年の終わりに、エンツォは本拠をモデナからマラネッロへ移しました。年次報告書は、マラネッロはそれからずっと本拠のままだと書いています。会社の住所は、いまもマラネッロの Via Abetone Inferiore です。
最初の車が動いたのもここです。1947 年 3 月 12 日、まだボディを付けていない 125 が、マラネッロと隣のフォルミージネのあいだの田舎道を走りました。公式の歴史のページは、ここからフェラーリの大きな冒険が始まったと書いています。
いまのマラネッロの工場は、屋根のある面積がおよそ 832 千平方メートルあります。本社、設計、開発、道を走る車とサーキットの車の生産、F1 の車づくりまで、ほとんどがここに集まっています。
新しい建物も増えています。2024 年 6 月には、e ビルディングが開きました。床の広さは 40 千平方メートルを超え、車の組み立てと、モーター、電池、電動の車軸をつくる場所です。
町には、フェラーリ博物館もあります。博物館から 500 メートルのところには、昔からの工場の門の向かいに、フェラーリの店があります。マラネッロは、車をつくる町であり、それを見に人が来る町でもあります。
2-2 550 マラネッロと 575M マラネッロ
550 マラネッロは、1996 年 7 月に、ドイツのニュルブルクリンクで発表されました。会場には当時の F1 のドライバー、ミハエル・シューマッハとエディ・アーバインが来て、車を走らせています。
この車には、はっきりした役目がありました。二十年あまりのあいだ、フェラーリのいちばん速い量産車は、エンジンを座席の後ろに置く車でした。550 マラネッロは、エンジンを前に置く V12 の車で、その座を取り戻したのです。
記録も残っています。1998 年 10 月 12 日、アメリカのオハイオ州メアリズビルで、量産車の世界記録を出しました。これを記念して、1999 年に三十三台の特別な車がつくられています。
| 項目 | 記録 |
|---|---|
| 100 km を走った平均の速さ | 304.1 km/h |
| 一時間で走った距離 | 296.168 km |
後を継いだのが、2002 年の 575M マラネッロです。名前の 575 は、排気量が 5500 cc から 5750 cc に増えたことを表しています。M は、手を加えたという意味の言葉の頭文字です。
575M は、道を走る V12 のフェラーリとして初めて、F1 の形の変速機を載せました。ハンドルの裏のレバーで変速します。出力は 515 馬力でした。形は、550 のままほとんど変えていません。落ち着いて釣り合いのとれた形が、すでに評価されていたからだと公式のページは書いています。
2-3 フィオラーノ。自分たちの試験コース
マラネッロの工場の隣に、フィオラーノ・モデネーゼという町があります。フェラーリの試験コースは、この町に接した土地にあります。
つくった理由は、モデナにありました。車の試験に使っていたモデナのアウトドローモが、安全の理由などで使いにくくなり、エンツォは自分たちだけのコースを考えはじめます。土地は、工場の近くに会社が持っていた農地でした。
工事は 1971 年に始まり、コースは 1972 年 4 月 8 日に開きました。自分たちの試験コースを持つ F1 のチームは、フェラーリだけになりました。
| 項目 | 数 |
|---|---|
| 全長 | 3 km |
| 直線の長さ | 1339 m |
| カーブの長さの合計 | 1661 m |
| コースの幅(最小) | 8.40 m |
| その後の全長 | 3021 m、2997 m、2976 m |
コースには、当時の名高いサーキットのカーブが写してあります。ザントフォールトのカーブ、ニュルブルクリンクの跳ねる所、モンテカルロのヘアピン。右と左、きついカーブとゆるいカーブを取りまぜて、車の曲がり方、重さの配分、ブレーキ、立ち上がりを確かめるためです。
はじめから、ここは試験のためのコースだとされました。レースには使わず、一般の人も入れず、走るのは一度に一台だけです。
2006 年の 599 GTB フィオラーノは、このコースから名前をもらいました。公式のページがそう書いています。599 は V12 の排気量を 10 で割った数、GTB はグラン・ツーリズモ・ベルリネッタです。
CHAPTER 3海辺の町と、都の名前
3-1 ポルトフィーノ
ポルトフィーノは、屋根の開く V8 の車です。2017 年 9 月に発表され、カリフォルニア T の後を継ぎました。年次報告書は、V8 の GT の頂点に立つ車だと書いています。
名前について、公式のページははっきり書いています。イタリアで最も美しい町の一つにちなんだ、思いを呼び起こす名前を選んだ。ポルトフィーノは観光の港で知られ、長いあいだに、上品さ、スポーティさ、控えめなぜいたくの代名詞になった、と。
発表のときの色も、この町にささげられました。ロッソ・ポルトフィーノという赤です。
車としては、毎日乗れることがねらいでした。屋根は固い板でできていて、閉じればクーペに、開ければオープンになります。後ろには、短い移動なら使える席が二つあります。エンジンは 600 馬力で、止まった状態から時速 100 キロメートルまで 3.5 秒です。
2020 年には、ポルトフィーノ M に進みました。M はモディフィカータの頭文字です。八段の変速機と、五つの位置を持つ走り方の切り替えが加わりました。この年、フェラーリは初めて、新しい車をオンラインの催しで発表しています。
3-2 ローマ
2019 年に出たローマは、屋根のあるクーペです。エンジンを前に置き、後ろに小さな席を持つ形をしています。
名前には、合言葉が添えられました。「ラ・ヌオーヴァ・ドルチェ・ヴィータ」、新しい甘い生活です。公式のページは、1950 年代から 1960 年代のローマにあった、気ままで楽しい暮らし方を、いまの形で表した車だと説明しています。
形の手本は、1960 年代のフェラーリです。エンジンを前に置いた、すっきりして上品なグランドツーリングの車たち。ローマはその考え方を受け継ぎ、余分な飾りを取り去っています。
中身は新しい車です。部品の 70 パーセントは新しくつくられました。エンジンは 620 馬力の V8 ターボで、八段の変速機と組み合わされています。
公式の歴史のページは、同じ年に出た SF90 ストラダーレと並べて、こう書いています。SF90 が性能の限界を押し広げたのに対して、ローマは形の考え方を大きく変えた、と。
車の名前の理由として書かれているわけではありませんが、ローマはフェラーリの歴史の最初のほうにも出てきます。公式の歴史のページは、1947 年の項目に、ローマのグランプリを走る 125 S を載せています。
3-3 アマルフィと、ムジェッロ
| 車 | 年 | その土地 |
|---|---|---|
| 550 マラネッロ | 1996 | 本拠のある町 |
| 360 モデナ | 1999 | エンツォが生まれた町 |
| 575M マラネッロ | 2002 | 本拠のある町 |
| 599 GTB フィオラーノ | 2006 | 試験コースのある町 |
| ポルトフィーノ | 2017 | 観光の港の町 |
| ローマ | 2019 | 都 |
| ポルトフィーノ M | 2020 | 観光の港の町 |
| アマルフィ | 2025 | 海岸の町 |
2025 年には、アマルフィが加わりました。640 馬力の V8 を積む車で、年次報告書はローマ・スパイダーと並べて紹介しています。
発表の場所は、名前のとおりアマルフィ海岸でした。7 月に二日間の催しが開かれ、最後に地元の人たちに向けて、初めて車が公開されています。
車の名前ではありませんが、もう一つ、フェラーリと縁の深い土地があります。フィレンツェの近く、スカルペリーアにあるムジェッロのサーキットです。フェラーリは 1988 年にこのサーキットを買い、いまも持っています。
ムジェッロのレースの歴史は古く、1914 年に、道を使った 66 キロメートルのコースで始まりました。1921 年には、エンツォ・フェラーリ自身がアルファロメオに乗って、ここで勝ったと年次報告書は書いています。いまのコースは一周 5,245 メートルです。
モデナで生まれ、マラネッロでつくり、フィオラーノで試す。そこに、ポルトフィーノやローマ、アマルフィの名前が、暮らしの楽しみを表す言葉として加わりました。車の名前を地図の上に置いてみると、この会社がどこから来て、いま何を届けようとしているのかが見えてきます。
SOURCES出典
- Ferrari N.V.「2025 Annual Report and Form 20-F」
https://ferrari.scene7.com/is/content/ferrari/Ferrari_Annual_Report_2025?s(2026-10-02 確認) - Ferrari N.V.「Annual Report 2017」
https://cdn.ferrari.com/cms/network/media/pdf/annual_report_2017_eng.pdf(2026-10-02 確認) - Ferrari 公式サイト「Museo Enzo Ferrari Modena」
https://www.ferrari.com/en-EN/museums/enzo-ferrari-modena(2026-10-02 確認) - Ferrari 公式サイト「Museo Ferrari Maranello」
https://www.ferrari.com/en-EN/museums/ferrari-maranello(2026-10-02 確認) - Ferrari 公式サイト「90 Legendary Years」
https://www.ferrari.com/en-EN/magazine/articles/90-years-legendary-museum-maranello(2026-10-02 確認) - Ferrari 公式サイト「History」
https://www.ferrari.com/en-EN/history(2026-10-02 確認) - Ferrari 公式サイト「Ferrari 360 Modena (1999)」
https://www.ferrari.com/en-EN/auto/360-modena(2026-10-02 確認) - Ferrari 公式サイト「Ferrari 550 Maranello (1996)」
https://www.ferrari.com/en-EN/auto/550-maranello(2026-10-02 確認) - Ferrari 公式サイト「Ferrari 575M Maranello (2002)」
https://www.ferrari.com/en-EN/auto/575m-maranello(2026-10-02 確認) - Ferrari 公式サイト「599 GTB Fiorano (2006)」
https://www.ferrari.com/en-EN/auto/599-gtb-fiorano(2026-10-02 確認) - Ferrari 公式サイト History「1972 Home Track」
https://www.ferrari.com/en-EN/history/moments/1972/home-track(2026-10-02 確認) - Ferrari 公式サイト「Ferrari Portofino」
https://www.ferrari.com/en-EN/auto/ferrari-portofino(2026-10-02 確認) - Ferrari 公式サイト「Ferrari Portofino M」
https://www.ferrari.com/en-EN/auto/ferrari-portofino-m(2026-10-02 確認) - Ferrari 公式サイト「Ferrari Roma」
https://www.ferrari.com/en-EN/auto/ferrari-roma(2026-10-02 確認) - Ferrari 公式サイト History「2019」
https://www.ferrari.com/en-EN/history/moments/2019/2019(2026-10-02 確認) - Ferrari 公式サイト History「2020」
https://www.ferrari.com/en-EN/history/moments/2020/2020(2026-10-02 確認)
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