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NOTES 21

一台の 250 GTO の履歴。車台番号 3413 を、持ち主の順に読む

1962 年に工場を出てから、2018 年に 48,405,000 ドルで売れるまで。十一人の持ち主と、二十のレース

古いフェラーリには、一台ごとに履歴があります。だれが最初に買い、どのレースを走り、だれの手を渡ってきたか。車の雑誌が名高い車の持ち主の歴史を載せるのは、それが車の値打ちそのものだからです。このページでは、一台の 250 GTO、車台番号 3413 の履歴を、最初から順に読みます。もとにするのは、2018 年にこの車を売った競売の会社 RM Sotheby's が書いた記録です。持ち主の名前は、その記録に公に書かれているとおりに挙げます。

CHAPTER 11962 年。最初の持ち主

1-1 三台目の GTO

車台番号 3413 は、量産の 250 GTO の三台目です。RM Sotheby's の記録によると、工場での組み立てが終わったのは、1962 年 4 月の終わりでした。

250 GTO は、36 台しかつくられていません。3413 は、その中でも早い一台です。記録は、のちの車の標準になる細かい特徴を、最初に備えた GTO だったと書いています。小さな空気の取り入れ口、ブレーキを冷やす細い通り道、前のふたの留め具。後ろには、ねじで留めた翼が付いていました。

色は、ロッソ・チーナという赤です。室内は、青い布でした。いまの GTO の写真で見慣れた姿とは、少し違います。

工場を出てすぐ、この車は大事な役目を与えられました。5 月の最初の週、シチリアのレース、タルガ・フローリオに向けた練習の車として、フェラーリのチームが使ったのです。運転したのは、フィル・ヒルでした。アメリカ人で最初の F1 の世界王者です。

記録は、こう書いています。フィル・ヒルがハンドルを握ったことは、世界でもわずかな車しか持たない名誉だ、と。売られる前の数日のうちに、この車の履歴には、もう一行目が書かれていました。

1-2 ルアルディ=ガバルディと、1962 年の十のレース

数日あと、車は正式に売られます。買ったのは、アルナルダ・コロンボという女性でした。夫の代わりに買ったのです。夫は、イタリアの名高い個人のドライバー、エドアルド・ルアルディ=ガバルディでした。

記録は、この人のことを詳しく書いています。1931 年にミラノで生まれ、19 歳のとき、1950 年のミッレ・ミリアでレースを始めました。1953 年からは、フェラーリの 166 MM で山登りのレースに出ています。1956 年には、イタリアの山登りのレースの王者になりました。

フェラーリを何台も買ったので、マラネッロの大事な客の名簿に載り、エンツォ・フェラーリとよく昼食をともにしたそうです。記録は、エンツォの個人的な友人で、工場からいつもいちばんよい特別な車を受け取っていた人だと書いています。

3413 での戦いは、すぐに始まりました。5 月 13 日、最初のレースで勝ちます。そのあと一か月のあいだに、いくつもの山登りのレースで自分の部門を勝ちました。7 月 22 日のトリエステ・オピチーナでは、総合で勝っています。

Sotheby's の記事によると、ルアルディ=ガバルディは 1962 年にこの車で十のレースに出て、一つを除いて全部勝ちました。残りの一つも、部門の二位です。その年、彼はイタリアの GT 選手権の自分の部門の王者になりました。生まれたばかりの GTO の名を高めたのは、こうした個人のドライバーたちでした。

1-3 二人目の持ち主、ブルガリ

1963 年 4 月のはじめ、ルアルディ=ガバルディは 3413 で最後の総合優勝を挙げます。その四日あと、車は二人目の持ち主に売られました。

買ったのは、ジャンニ・ブルガリです。宝飾の会社ブルガリの家の人で、のちにその会社を率いることになります。記録によると、当時の彼はレースの場にも慣れた人で、名のある個人のドライバーたちと並んで走っていました。

ブルガリは、すぐに結果を出します。1963 年 5 月 5 日のタルガ・フローリオ。製造者の国際選手権の三戦目でした。3413 は自分の部門で一位、総合で四位に入ります。六か月あとには、モンツァのレースでも勝ちました。

ルアルディ=ガバルディのほうは、この年、二台目の GTO を受け取っています。最初の持ち主が次の車へ移り、手放された車を次の人が買って、また勝つ。当時の GTO は、そうやって持ち主を替えながら走り続けました。

記録は、最初の一年のあいだにこの車が挙げた勝ちを、ほとんど信じられないほどだと書いています。そして、勝ったのはドライバーの腕だけでなく、GTO を相手よりずっと先へ進めていたフェラーリの技術の力でもあった、と続けています。

CHAPTER 21964 年。姿を変えて、タルガ・フローリオへ

2-1 三人目の持ち主と、新しい車体

1963 年 12 月、三人目の持ち主が車を買います。コッラード・フェルライーノです。記録によると、三十代はじめの実業家で、技術者でもありました。のちに、ナポリのサッカーのチームの持ち主になり、会長を務める人です。

フェルライーノが買ったとき、3413 は最初の形の車体のままでした。1964 年 1 月、工場は車をモデナのスカリエッティの工場へ送ります。そこで、新しい形の車体に載せ替えられました。

新しい車体は、ピニンファリーナが形を決めたものです。記録によると、前より低く、広く、短い。前の窓は強く寝かされ、タイヤは太くなり、エンジンは低い位置に収まります。曲がりくねったシチリアの道で、車の釣り合いをよくするための直しでした。

この形で最初からつくられた GTO は、最後の三台だけです。それとは別に、最初の形でつくられた車のうち四台が、あとからこの形に直されました。3413 は、その四台の一つです。しかも、屋根を後ろへ長く伸ばした形で、これは二台しかありません。記録は、新しい形の車体をまとった GTO は、合わせて七台だと書いています。

持ち主でもあるドライバーたちは、フェラーリのいちばん新しい技術をほしがりました。記録は、この車体の直しが、それほど望まれたものだったと書いています。

2-2 シチリアの一日

FIGURE1964 年の製造者の国際選手権の点(RM Sotheby's の記録の数)
フェラーリ84.54
シェルビー(コブラ)78.3

1964 年のタルガ・フローリオは、48 回目でした。記録は、このレースを世界でいちばん古いスポーツカーのレースと呼んでいます。一周 72 キロメートルの、ふつうの道を使ったコースを、十周します。

この年、スクーデリア・フェラーリは出ませんでした。相手は強力です。アメリカのキャロル・シェルビーは、四台のコブラを連れてきました。ドイツのポルシェは、工場の車を五台送りこんでいます。フェラーリの名前を守るのは、個人のドライバーたちと、GTO だけでした。

きびしいレースでした。最後まで走り切ったのは 28 台だけで、30 台を超える車が、事故や故障で消えています。コブラは、四台とも走り切れませんでした。

フェルライーノと、組んだルイジ・タラマッツォは、一周およそ 40 分のコースを一つずつこなし、自分の部門の一位、総合の五位で帰ってきます。走り切った四台の GTO の先頭でした。

この勝ちで、フェラーリは 14.4 点を得ました。記録は、その重さを数えています。年の終わり、フェラーリはコブラを 84.54 点対 78.3 点で抑えて、選手権を取りました。もしこの日、コブラがフェルライーノに勝っていたら、選手権はシェルビーのものになっていた。記録は、3413 を、1964 年の選手権をフェラーリにもたらした車だとまで書いています。

2-3 最後のレース

フェルライーノは、1964 年のうちに、あと三回以上この車でレースに出ました。5 月の終わりの山登りのレースで部門の一位、ひと月あとのムジェッロの 500 キロメートルで総合の三位です。

そのあと、車はイギリスへ渡ります。買ったのは、ロンドンに住む車の商人、ダン・マーグリーズでした。この時期に、鼻先の形が少し直されています。四角い前の灯りの代わりに、ブレーキを冷やす縦の穴が二つあけられました。

1965 年 12 月の終わり、3413 は現役の最後のレースを走ります。イギリスのブランズ・ハッチでのレースです。運転を任されたのは、デヴィッド・パイパーでした。結果は、総合の優勝です。記録は、最後のレースにふさわしい結果だったと書いています。

Sotheby's の記事は、現役の四年間を数字でまとめています。走ったレースは、全部で 20。一度も事故を起こさず、一度も途中で止まりませんでした。記事は、レースの車としては珍しいことで、信じがたい手柄だと書いています。

だから、この車には、もとの部品が残りました。エンジン、変速機、後ろの車軸。1964 年にスカリエッティが載せた車体も、そのままです。レースを二十も走って、何も失わなかった車でした。

CHAPTER 3集める人たちの手へ

3-1 イギリスの収集家たち

TIMELINE車台番号 3413 の持ち主(RM Sotheby's の記録から)
  1. 1962エドアルド・ルアルディ=ガバルディ。イタリアの個人のドライバー
  2. 1963ジャンニ・ブルガリ。4 月に買う
  3. 1963コッラード・フェルライーノ。12 月に買う
  4. 1964ダン・マーグリーズ。ロンドンの車の商人
  5. 1967ジャック・ル・フォール。イギリスの人
  6. 1968ニール・コーナー。名の知れた収集家
  7. 1970アンソニー・バンフォード卿。このころに買う
  8. 1980 年代ナイジェル・ムーアズ
  9. 1988日本の収集家(記録の綴りは Yoshijuki Hayashi)
  10. 1994リンゼイ・オーウェン=ジョーンズ卿。4 月に買う
  11. 2000グレゴリー・ウィッテン博士。1 月に買う
  12. 2018競売で、次の持ち主へ

レースを終えた 3413 は、走るための車から、集めるための車に変わっていきます。けれども、すぐに倉にしまわれたわけではありません。

1967 年、マーグリーズは車をジャック・ル・フォールに売りました。この人は、山登りの催しで二度走らせています。一年あと、車は収集家のニール・コーナーに渡りました。コーナーは 1970 年、シルバーストンの催しでこの車を走らせています。

そのすぐあと、車はアンソニー・バンフォード卿のものになりました。記録は、コーナーとバンフォード卿を、世界でいちばん珍しい車をいくつも持った人たちだと書いています。二人とも、GTO を何台も持ったことがあります。

バンフォード卿は、1980 年代までこの車を持ち続けました。そのあと、収集家のナイジェル・ムーアズに売っています。

記録は、この時期の持ち主たちについて、こう書いています。3413 の持ち主の鎖には、世界でいちばんの車の愛好家と呼ばれるにふさわしい人たちが並んでいる。その人たちが持ったということが、この車の大事さを確かめている、と。

3-2 日本の持ち主

1988 年、ムーアズは 3413 を日本の収集家に売りました。記録には、Yoshijuki Hayashi という綴りで名前が書かれています。

この車は、日本へは来ませんでした。記録によると、持ち主は日本の人でしたが、車はイギリスに置かれたままです。その時期、ヨーロッパの古い車の催しに出ています。

1992 年 9 月には、GTO の三十周年を祝う旅に加わりました。1993 年 6 月には、イギリスのグッドウッドの催しを走っています。どちらのときも、イギリスの修復とレースの専門家が運転しました。

1994 年 4 月、車は次の持ち主に渡ります。ロンドンのリンゼイ・オーウェン=ジョーンズ卿です。記録によると、当時、化粧品の会社ロレアルの会長でした。フェラーリとの縁も深く、フェラーリの会社の取締役を務めたこともあります。1994 年と 1995 年には、シルバーストンの古い車のレースの催しにこの車を出しました。

記録に並ぶ十一人の持ち主の中で、ヨーロッパとアメリカの外の人は、この一人だけです。世界に 36 台しかない車の持ち主の列に、日本の人の名前が一行、残っています。

3-3 2000 年から、2018 年の競売まで

2000 年 1 月、3413 はアメリカの収集家、グレゴリー・ウィッテン博士の手に渡りました。記録によると、ソフトウェアの会社マイクロソフトで二十年近く働いた人です。

ウィッテン博士は、この車をよく走らせました。古いフェラーリのレースのシリーズに、2001 年から 2009 年のあいだの四つの季節。GTO の四十周年、四十五周年、五十周年、五十五周年の旅。2011 年のペブル・ビーチの催しでは、ほかの 17 台の GTO と顔を合わせています。

走らせるための工夫もありました。記録によると、もとのエンジンの本体は、守るために何年も前に車から降ろされています。いま載っているのは、GTO の仕様でつくった別のエンジンの本体です。もとの本体は、車と一緒に次の持ち主へ渡されました。もとの部品を残しながら、車を本気で走らせるためのやり方です。

2018 年、フェラーリの古い車の部門の人が、車をじかに調べました。そして 8 月、モントレーの競売に出ます。結果は 48,405,000 ドル。持ち主が替わるのは、18 年ぶりでした。

最初の持ち主から数えて、十一人。その全員の名前が、一人も抜けずに記録に残っています。レースの成績も、車体を載せ替えた月も、鼻先を直した時期も分かっています。一台の車の値打ちは、鉄と油だけでなく、こうして書き残された履歴でできています。

SOURCES出典

  1. RM Sotheby's Monterey 2018, Lot 247「1962 Ferrari 250 GTO by Scaglietti」(車台番号 3413)
    https://rmsothebys.com/auctions/mo18/lots/r0117-1962-ferrari-250-gto-by-scaglietti/(2026-10-02 確認)
  2. Sotheby's「This 1962 Ferrari 250 GTO Is The Most Valuable Car Ever Offered at Auction」
    https://www.sothebys.com/en/articles/this-1962-ferrari-250-gto-is-the-most-valuable-car-ever-offered-at-auction(2026-10-02 確認)
  3. RM Sotheby's New York 2023「1962 Ferrari 330 LM / 250 GTO by Scaglietti」(車台番号 3765)
    https://rmsothebys.com/auctions/gt23/lots/r0001-1962-ferrari-330-lm-250-gto-by-scaglietti/(2026-10-02 確認)

この記事は、上の資料の原文を確かめたうえで書いています。年や台数などの数は、資料に書かれているものだけを使いました。資料どうしで書き方が違う所は、本文でそのように断っています。記事の中の社名と車名は、各社の商標です。

CONTRIBUTOR山岸 勇輝Yuuki YAMAGISHI

独立研究者(Independent Researcher)。公式の資料や統計など、一次の資料にあたって書くことを続けている。

yamagishiyuuki.com