同じ「250」の名を持ち、耐久レースの時代を作った三台を、公式の記録で並べる
250 テスタロッサ、250 GTO、250 LM。1950年代の終わりから1960年代の半ばにかけて、フェラーリの耐久レースを支えた三台です。このページでは、三台をまとめて「三種の神器」と呼んでみます。名前は似ていますが、生まれた理由も、エンジンの置き場所も、たどった運命も違います。フェラーリ公式サイトの車種のページと年表から、一台ずつ見ていきます。
CHAPTER 1250 テスタロッサ 赤い頭
1-1 名前は、エンジンのふたの色
テスタロッサは、イタリア語で「赤い頭」です。頭とは、エンジンのいちばん上、弁を覆うふたのこと。そこを赤く塗ったので、この名が付きました。
公式のページによれば、250 テスタロッサは、その前にあった 500 TRC でレースをしていた客のために作られました。骨組みは似たものを使って扱いやすさを残し、エンジンだけをずっと強いものに替える。そういう考えの車です。500 TRC と比べると、赤く塗られているのはふたの部分だけでしたが、テスタロッサの名はそのまま引き継がれました。
エンジンを選ぶときには、うわさが一つありました。国際自動車連盟が、試作車の部門の排気量を3リットルまでに限るらしい、というものです。うわさは本当になりました。そこでフェラーリは、250 グランツーリスモで実績のあった丈夫なV12を使うことにします。ただし中身は大きく手を入れ、二つ口の気化器を六つ並べました。
「250」は、一つの気筒の排気量から来ています。公式のページの数字では246.10cc。12を掛けて、全体で2953.21ccです。
1-2 300馬力、800キロ
公式のページの数字を並べます。エンジンは60度のV12で、運転席の前に縦に置かれています。出力は7200回転で300馬力。1リットルあたり102馬力です。乾いた重さは800キロ、最高速は270キロでした。
作りは、いまの目で見れば古風です。骨組みは鋼の管。後ろの車軸は左右がつながった形で、ブレーキは円筒形の太鼓型でした。変速機は四段です。屋根の無い二人乗りで、燃料の入れ物は140リットル。長い距離を走り切るための車でした。
この車は1958年に、メーカーの世界選手権を取っています。公式のページが車の説明の最後に置いているのが、この一行です。
翌年には手が入りました。年表によれば、1959年の 250 テスタロッサは、ピニン・ファリーナが描いてメダルド・ファントゥッツィが作った新しい車体をまとっています。前より軽く、低くなり、ブレーキは円盤型に替わりました。エンジンの歯車にはマグネシウムが使われています。
1-3 セブリングの一位から四位まで
テスタロッサの強さがよく分かるのは、アメリカのセブリング12時間です。年表は、このレースを「ル・マン24時間に並ぶもの」と書いています。飛行場の一部を使ったコースで、多くのチームが、ル・マンに向けた試作車をここで試しました。
1959年は大雨のレースでした。フェラーリは 250 テスタロッサを三台出し、一位と二位を取ります。年表は、この年がエンジンを前に積んだ車がセブリングで勝った最後の年だった、と書いています。
1961年はもっとはっきりしています。四台の 250 テスタロッサが、一位から四位までを占めました。勝ったのはフィル・ヒルとオリヴィエ・ジャンドビアンです。この二人はその年のル・マン24時間にも勝ちました。1961年のフェラーリは、F1の運転手と製造者、それにスポーツカーの世界選手権という三つの世界一を、一つの年に取っています。
そして1962年のセブリング。勝ったのはまたテスタロッサでした。そのすぐ後ろ、二位に入ったのが、この年に生まれたばかりの 250 GTO です。
CHAPTER 2250 GTO 番号札を付けたレースの車
2-1 「怪物」と呼ばれた試作車
250 GTO は、屋根のある車のレースのために作られました。公式のページによれば、開発は秘密のうちに進められ、任されたのはジオット・ビッザリーニです。目標は、ジャガーのEタイプに勝つことでした。
土台になった車については、話が二つあります。ビッザリーニ本人は長年、古い 250 GT ボアーノの骨組みを渡されたと語ってきました。けれど公式のページは、工場の記録にはそう書かれていないと言います。記録では、渡されたのは 250 GT の短い型で、番号は 1791GT でした。本人の思い出と、工場の記録。公式のページは、両方を書いたうえで記録のほうを示しています。
最初の試作車は、1961年9月、イタリア・グランプリの前のモンツァを走りました。手で叩いただけの、つぎはぎの車体だったので、付いたあだ名は「イル・モストロ」、怪物です。スターリング・モスが乗ると、それまでの 250 GT では出せなかった速さを記録しました。
その年の終わりに、会社の中で人の入れ替えがあります。ビッザリーニは外へ出ることになり、車体の仕上げはセルジオ・スカリエッティに任されました。年表によれば、スカリエッティは図面なしで、骨組みの上の金属を一枚ずつ叩いて形にしたそうです。
2-2 O は「公認」の O
披露の時期は、公式の二つの文で少し違います。車種のページは1962年1月の、毎年恒例の発表会だったと書きます。年表は2月24日としています。どちらの文も、その場に並んだ車の中で、エンジンを前に積んでいたのはこの車だけだった、という点は同じです。F1の車もスポーツカーも、もうエンジンは運転席の後ろに移っていました。
GTO の O は、イタリア語の「オモロガータ」、公認の頭文字です。屋根のある量産車として公認を受けた、という意味でした。ところが年表は、こうも書いています。公認のために求められた100台は、ついに作られなかった。作られたのは36台と、4000ccのエンジンを積んだ3台だった、と。
エンジンは、テスタロッサと同じ仕様の3リットルV12です。出力は300馬力。変速機は新しい五段になりました。前後の車輪のあいだは2400ミリで、もとになった 250 GT の短い型と同じです。
車種のページは、250 GTO を「250 GT の最後の、いちばん進んだ形」と呼んでいます。道でもサーキットでも同じように走れる車。そして、おそらく最後の、道とレースの両方に使えた車だった、と。
2-3 三年続けて世界一
1962年から、メーカーの選手権は屋根のある車の部門に移りました。250 GTO はそこで、1962年、1963年、1964年と、三年続けて世界一を取ります。
初めてのレースは1962年3月のセブリング12時間でした。出走の前に、後ろに小さな翼が足されています。フィル・ヒルとオリヴィエ・ジャンドビアンが乗り、総合で二位、自分の部門では一位。前にいたのは、テスタロッサだけでした。
そのあとの勝ちは、車種のページに並んでいます。ツール・ド・フランスを1963年と1964年に。タルガ・フローリオの部門優勝を三年続けて。グッドウッドのツーリスト・トロフィーを1962年と1963年に。ル・マンの部門優勝を1962年と1963年に。追いつかれ始めたのは最後の年で、相手はずっと大きなV8を積んだ車でした。
年表は、この車がいま世界でいちばん値の付く古い車で、3000万ユーロという数字が出ていると書いています。数が36台と少なく、その多くに華やかなレースの戦歴がある。車体の色の種類がいちばん多いレースの車でもあるそうです。
CHAPTER 3250 LM 公認されなかった車
3-1 エンジンが後ろへ
三台目の 250 LM は、1963年10月のパリのショーで披露されました。前の二台との一番の違いは、エンジンの場所です。運転席の後ろ、車の真ん中に近い所にあります。
公式のページによれば、250 LM は 250 P という試作車に屋根を付けた型で、骨組みと足まわりは、少し直しただけで同じものを使っています。その 250 P は、1963年6月16日のル・マン24時間に勝った車です。年表によれば、3リットルで310馬力の12気筒を運転席の後ろに置いた、最初の車でした。運転したのはロレンツォ・バンディーニとロドヴィコ・スカルフィオッティ。イタリア人だけの組が、イタリアの車でル・マンに勝ったのは、このときが最初で、ただ一度です。
数字を見ると、名前との食い違いに気づきます。250 LM の一気筒の排気量は273.81cc。全体では3285.72ccで、もう「250」ではありません。出力は7500回転で320馬力、最高速は287キロ、乾いた重さは820キロです。
名前は前の車から引き継ぎましたが、中身は次の時代の車でした。足まわりは四つの車輪が別々に動く形になり、ブレーキは円盤型、変速機は五段です。
3-2 連盟は首を縦に振らなかった
フェラーリは、250 LM を 250 GTO の後を継ぐ車として、屋根のある量産車の部門に出すつもりでした。ところが国際自動車連盟は、この車を量産車として公認しませんでした。
公式のページは、その結果を二つ書いています。一つは、売れ行きに響いたこと。もう一つは、本物の試作車と同じ部門で走らなければならなくなり、勝つ見込みが減ったこと。そのうえで、こう付け加えています。この決定は、250 GTO のレースでの寿命を延ばすことにもなった、と。後を継ぐはずの車が同じ部門に出られないので、GTO がもう一年走ったわけです。
エンツォはこの決定に怒りました。年表によれば、1964年のF1の最後の二戦、アメリカとメキシコで、フェラーリの車はいつもの赤ではなく、白と青で走っています。アメリカの輸入元ルイジ・キネッティのチーム、NART の色です。250 LM を公認しなかった連盟への抗議でした。この年、ジョン・サーティースは白と青のフェラーリで世界王者を決めています。
250 GTO の最後の三台には、250 LM によく似た形の車体が載せられました。描いたのはピニンファリーナ、作ったのはスカリエッティです。二つの車は、形の上でもつながっています。
3-3 1965年のル・マン
公認されなかった車は、試作車を相手に戦うことになりました。そして1965年、ル・マン24時間に勝ちます。運転したのはヨッヘン・リントとマステン・グレゴリーでした。
この勝ちは、長いあいだフェラーリの「最後のル・マンの総合優勝」でした。公式の年表の2023年の記事には、耐久レースの責任者の言葉が引かれています。半世紀ぶりにいちばん上の部門に戻り、1965年の 250 LM の勝ちから58年たって、跳ね馬をまた勝たせた、と。2023年に勝った 499P の一つ前の勝者が、250 LM だったことになります。
- 1958250 テスタロッサが、メーカーの世界選手権を取る
- 1959セブリング12時間で、テスタロッサが一位と二位
- 1961セブリングで一位から四位まで。ル・マンにも勝つ
- 1962250 GTO が生まれる。この年から三年続けて世界一
- 1963250 P がル・マンに勝つ。10月に 250 LM が披露される
- 1964F1の最後の二戦を、白と青で走る
- 1965250 LM がル・マン24時間に勝つ
三台を並べると、時代の変わり目が見えます。テスタロッサは、エンジンを前に積んだ屋根の無い車で、試作車の部門を戦いました。GTO は、エンジンを前に積んだ屋根のある車で、量産車の部門を三年続けて取りました。LM は、エンジンを後ろに移し、量産車の部門に入れてもらえないまま、ル・マンに勝ちました。
| 項目 | 250 テスタロッサ | 250 GTO | 250 LM |
|---|---|---|---|
| エンジンの場所 | 運転席の前 | 運転席の前 | 運転席の後ろ |
| 屋根 | 無い | ある | ある |
| 排気量 | 2953.21cc | 3リットル | 3285.72cc |
| 出力 | 300馬力 | 300馬力 | 320馬力 |
| 変速機 | 四段 | 五段 | 五段 |
| 走った部門 | 試作車 | 量産車 | 試作車(公認されず) |
エンジンの場所が前から後ろへ移り、レースの規則が車の運命を決める。その十年たらずの流れが、「250」の名の付いた三台に入っています。
SOURCES出典
- Ferrari 公式サイト「250 Testa Rossa」
https://www.ferrari.com/en-EN/auto/250-testa-rossa(2026-10-02 確認) - Ferrari 公式サイト「250 GTO」
https://www.ferrari.com/en-EN/auto/250-gto(2026-10-02 確認) - Ferrari 公式サイト「250 LM」
https://www.ferrari.com/en-EN/auto/250-lm(2026-10-02 確認) - Ferrari 公式サイト History「1959 American Resistance」
https://www.ferrari.com/en-EN/history/moments/1959/american-resistance(2026-10-02 確認) - Ferrari 公式サイト History「1961 Red Monopoly」
https://www.ferrari.com/en-EN/history/moments/1961/red-monopoly(2026-10-02 確認) - Ferrari 公式サイト History「1962 Masterpiece」
https://www.ferrari.com/en-EN/history/moments/1962/masterpiece(2026-10-02 確認) - Ferrari 公式サイト History「1963 Le Mans, Italy」
https://www.ferrari.com/en-EN/history/moments/1963/le-mans-italy(2026-10-02 確認) - Ferrari 公式サイト History「1964 Hero of the Two Worlds」
https://www.ferrari.com/en-EN/history/moments/1964/hero-of-the-two-worlds(2026-10-02 確認) - Ferrari 公式サイト History「2023」
https://www.ferrari.com/en-EN/history/moments/2023/2023(2026-10-02 確認)
この記事は、上の資料の原文を確かめたうえで書いています。年や台数などの数は、資料に書かれているものだけを使いました。資料どうしで書き方が違う所は、本文でそのように断っています。記事の中の社名と車名は、各社の商標です。